SSブログ

11世紀トルファンのシャトランジ恐らく写実駒(長さん)

出土情報に基本的誤差が無いとすればであるが、
今回は、本ブログが、トルファン産と判定した
将棋盤が、唐代と元代の中を取って、宋代成立
としたら、シャトランジはイスラム型駒か、
写実駒なのかを考察する。表題の通りたぶん、
写実駒なのではないかと思われる。では、議論
を開始する。
 まず、唐代は唐王朝支配なため、暦は中国暦
で、囲碁が打たれるので、現ウィグル自治区の
トルファンで、イスラムシャトランジが指され
るのはおかしいとして。北宋代には、どうだっ
たのかと考えて見る。なお続く金王朝の時代は、
ウィグル自治区まで、中国王朝の勢力は無かっ
たので、イスラムシャトランジは生き残ると考
えられる。
 webの情報から、現在のウィグル自治区の
11世紀の政治状況を、北宋王朝は、

はっきりとは、掴んでいなかった

とされる。天山ウィグル国とか、西ウィグル国
とか、カラホージャ朝と言われる、ウィグル人
の国が有ったと、歴史地図には書いてあるよう
だが、宋王朝には関心が薄かったらしい。ちな
みにこの領域は、シルクロードに浸っているか
ら、北宋の中国交易商人の方が、当時は政府よ
りも様子を良く知っていたはずである。
何れにしてもだから、

一応、中国文化圏から、一時期抜けていた

考えられそうである。だから一部の住民には、

イスラムシャトランジが指されたかもしれない

と言えるだろう。ただし、イスラム教圏は西隣
のカラハン朝まで、だったようである。ちなみ
に、大理国へ宝玉・ネフライトをもたらした、
ホータン市は、当時はカラハン朝や、少し後の
東カラハン朝の支配領域だったと言う事である。

玉将の原料のネフライト原石は、日本への将棋
の伝来当時の11世紀、イスラム圏から雲南省
へ”輸入”されていた

らしい。ただし、カラハン朝はイスラム教国だ
から、王侯貴族が象棋を指す時には、イスラム
式の抽象駒であり、形は地味だし、戒律から、
賭博用の宝玉は、多分使用しなかったのだろう。
 しかし、その東隣のトルファンが含まれる
天山ウィグル国の領域では、カラハン朝の支配
地の東の外であったので、イスラム圏ではなく、
そこの

天山ウィグル国等の王侯貴族は、ネフライト玉
彫り駒のシャトランジを指した

のかもしれない。その情報と、当のネフライト
が、雲南省の大理国にもたらされて、大理国の
貴族によって、玉将駒として加えられて、
大理国原始平安小将棋(8升目、32枚型)が
ひょっとしたら、成立したのではあるまいか。
 だから、当然非イスラム圏とみられる、正体
謎の”天山ウィグル国”では、ウルムチ美術館
の将棋盤と写実的な将棋駒を使って、北宋王朝
時代に、シャトランジを指していたという可能
性を、完全否定まではできないだろうと、私は
考えるのである。(2020/04/14)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー