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2006年にも大坂城から将棋駒出土(長さん)

”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”(西暦2003
年、天童市将棋資料館)に、大坂城下町遺跡と記載
されている出土駒のうち、記号でD、I、J、Mの
ものは、巻末の史料別発掘報告書一覧表によると、

大坂城城内

との事のようである。理由は不明だが、

裏龍王飛車と、裏一文字金または二文字金将桂馬と、
不成金将と、裏”と金”歩兵が多く、例外は”裏金
か金将”香車が1枚しか、出土しない

という特徴がある。当然だが、前記文献にリストさ
れているのは、前世紀の発掘分である。しかるに、

又不成金将だった

ようだが、西暦2006年にも1枚だけのだが、
将棋駒が出土したらしい。
 pdfファイル名は、”17493_1_大坂城址.pdf”
であり検索してページへ跳ぶと、たぶんダウンロー
ドが即始まる。報告書名は”大阪府文化財センター
調査報告書 第144集”で”大坂城跡Ⅲ”である。 
大坂府警察本部棟の新規第2期工事に伴う、発掘
だったようであり、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
で言う、大坂城下町遺跡出土駒のMの仲間らしい。
 報告書の123ページに、スケッチが載っていて、
”水無瀬駒ではないか”とされ、スケッチから普通
の金将の書体のようである。報告書の画像からは、
この程度が、確実に判る全てである。なおこのPD
Fファイルには裏表紙が無く、報告書の全文が本当
に見れているのかどうかは、よく判らない。
 なお、西暦2000年前後の発掘でM地点からは、
裏龍王飛車(1枚)、裏一文字桂馬(1枚、欠有り)、
裏と金歩兵(1枚)、裏崩し今金歩兵(1枚)の、
計4枚が、今回2006年より前に出土していると
いうのが、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒からの情
報である。

つまり不成り金将駒(1枚)は、大阪府警本部建設
現場では、始めて

だったとの事のようである。
 大きさが良くわからないが、輪郭の形は金将駒も
他の4枚と同じく、近世的であり、

安土桃山時代当時から見て、かなりモダンなもの

だったとみられる。
 単純に考えると、金、桂、飛車、歩で4種類。
玉、銀、香、角で4種類であり、城内からの出土は
今回のも入れて、14枚のようである。13枚が
全部前者で、香車が1枚というのは、確率でたぶん
千分の一位だろう。
 玉と銀と角と香車しかない、特殊なミニ将棋が
大坂城では流行って、別の場所へ駒が移動して失わ
れたとか、説明が全く不可能なわけではないが。
出土駒種類が、日本将棋にしては、城内だけバラツ
イている本当の原因は、依然としてよく判らない。
(2020/04/22)

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