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チムールチェス”兵の中の兵”は持駒ルールを示唆(長さん)

大阪電気通信大学の高見友幸氏が最初に言い
出した事だが。ペルシャの15世紀の象棋、
チムールチェスは、日本の小将棋~摩訶大大
将棋の影響を受けている疑いがある。このう
ち、高見氏の説で印象がもっとも深い、
1)成太子酔象型駒があるというのは中将棋
にとって、最も興味の深い部分だろう。
 しかしながら、その他、このゲームには、
2)槍手駒が隣接升目停止不可の角行になっ
ており、平安大将棋の研究に関連。
3)王が詰まれても、一回制限の有る自在王
動きができると言うのは摩訶大大将棋の15
世紀時点での存在を、かなり匂わせている
ようにも見える。
 ただし、一般の方から見たら、これよりも、
4)”兵の中の兵”駒が、相手の駒に対して
利いている位置で無ければならないという制
限があるものの、最奥段より自由位置変更が
できるというルールが、現行の日本将棋の

持駒ルールに実質近い

という点に、関心が集中するのではないだろ
うか。
 なぜなら、持ち駒ルールの出現は、最も遅
い推定をする、増川宏一説だと児教訓の西暦
1500年頃だが、チムールチェスは、恐ら
く京都曼殊院の、将棋図の成立の頃と同じく、
西暦1443年の頃に存在したと、みられる
ものだからである。
 今回は、”兵の中の兵”駒の1回目の成り
に於いて、持駒のような、自由位置転換が
できるというルールが、

日本の小将棋類の、持駒ルールを真似たもの
なのかどうか

を論題とする。結論から書く。

真似た疑いが濃い。だから、持駒ルールは、
児教訓よりも前に、有った疑いがある。

では、説明を開始する。
 チムールチェスは、中将棋と同じく、
11×11、121升に、城升目2個のある、
123升目に、56枚の駒を置いて行う、
世界の将棋のインド近年チャトランガ拡張の、
駒数多数象棋である。チムール帝国時代15
世紀のペルシャにて、行われたとの記録があ
る。(将棋天国社、西暦2000年、
”世界の将棋(改訂版)”、梅林勲・岡野伸。)
 大阪電気通信大学の高見友幸氏が初期に注
目したように、インド・チャトランガ/シャ
トランジ同様、兵駒が相手陣奥で、相手初期
位置駒に成るが、

王に成る兵駒も2種存在する

という特徴がある。
 よく調べてみると、冒頭で述べたように、
1)以外に2)~4)の性質もあり、以前に
本ブログでも、述べたとおり

南北朝時代から室町時代前期の日本の将棋情
報が、明王朝期の中国人を通して、チムール
帝国の、一例では図書館在職の情報担当者に
流れて出来たゲームではひょっとしてないか

とも、本ブログに於いては疑われている。
 中国人が媒介している事も、

奇数升目のこの象棋ゲームで、王駒が、
七国将棋(司馬光)や北宋象棋の偏、裨駒の
動きの駒に左右挟まれている

事から、かなり可能性を匂わせている。
 ここで、冒頭4)で述べた、”兵の中の兵”
駒の、最初の成りでの、持ち駒ルール型の動
きというのは、先に引用した世界の将棋によ
れば、次のようなものとされる。
チムールチェスには3通りの初期配列バージョ
ンがあるが、”兵の中の兵”は兵(ポーン)
駒の一種であり、初期には概ね、どのバージョ
ンでも、3段目の左端筋に置かれる。
 西洋チェスのポーンと同じ動きをするが、
初期2升動きと、経過捕獲は無い。3段成りを
するが、11段目で1回目の成りをし、

使用2手目からは差が無いが、使用1手目だ
け、相手の何れかの駒に対して、利いている
位置に、盤面自由に位置変えをする。

その後、また11段目に達して2回目の成りをし、
使用2手目からは動きがポーンのまま変化し
ないが、使用1回目に、自陣の”王に成る兵”
の位置に跳んで”王に成る兵”に変わる。
 更に敵陣の最奥11段目に達すると、3回
目の成りをし、”自分の城にも入れる王”に
成る。この駒は動きが玉将であり、かつ、玉
駒であり、王と異なり、相手陣城の、引分け
確定升目だけでなく、邪魔駒として自陣城に
も進める。
 以上のような、ルールとの事である。
 以上のルールのうち、行き所の無い最奥位置に
居る”兵の中の兵”は、持ち駒台にあるのと、
大体一緒であり、

控えて打つ事が出来ないが、相手の大駒取り
を掛ける位置等に、自由に場所を変えられる
というルールは、日本将棋等の持ち駒ルール
に、比較的近いもの

である。
 なお、チムールチェスが14世紀頃の日本
の将棋を真似たものではないかとされる、
冒頭1)2)3)のルールは次の通り。
1):初期に”王に成る兵”が存在し、
最奥段で、王に成る。なお、”王に成る兵”
は、元々はポーンの類であり、中央筋の3段
目ないし、2段目に初期配列される。また、
繰り返すと、”兵の中の兵”駒も、3回目の
成りで王に近い駒に成る。都合双方それぞれ
に、3枚まで玉駒が出来る可能性がある。
2):象駒系の駒に、”槍手”という駒が有
り、西洋チェスの僧侶と同じく、角行類似の
動きをするが、隣接斜め升目で停止できない。
(但し塞象眼がある。)これは”四隅の遠く
へ行く”と二中歴の、平安大将棋の飛龍動き
を解釈した、本ブログの見解が正しければ、
チムールチェスの槍手と、日本の平安大将棋
の飛龍とは、ルールが同じという事になり、
時代の前後関係から、前者は後者の模倣では
ないかと、当然疑われる。
3):イスラムシャトランジ型の
ステイルメイトルールのバリエーションかと
も疑われるが、チムールチェスには、王を2
回詰まなければならないというルールがある。
すなわち一回目は、取られる懸念の無い自分
の駒と位置交換し、王が逃げられるというルー
ルである。ただしこの特例は、成って王にな
る”王に成る兵”の王や、3回目成り後の
”兵の中の兵”の王には、適用されない。
 これは、摩訶大大将棋で、玉将がしばしば、
自在王に成って、逃げる事が可能で有る事を、
効果や元駒限定の類似性から連想させる。
 以上の通りである。
 よって、1)~4)のチムールチェスの
ルールの、日本の将棋臭さから、4)が、
日本の当時の、標準平安小将棋(持駒ルール
有)の、

持駒ルールがペルシャへ伝来して、
チムールチェスで真似られた経緯から来る

のではないかと、疑われるという事になる。
 以上のようにして、冒頭の結論が導かれる
のである。(2020/04/26)

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