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奔横駒の発明者は駒の動かし方ルールをどうしたか(長さん)

定説では、徳島市川西遺跡出土の奔横駒または本横駒
は、奔王の異字であり、奔王と同じルールの駒とされ
ている。本ブログでは、本横または奔横は、奔横と一
応書いたつもりであり、横行が玉前升目に有った、
二中歴時代と同じ13升目大将棋で、横行の更に、前
升目に置いたという経緯の駒としている。従って、
以前述べた通り、

奔横の駒のルールは、横行を拡張したもの

である事は確かで、奔王動きが疑われるものの、奔猪
の前と後ろへ歩む動きかもしれないと、控えめに見る。
 今回は、

奔横は当初の発明者が飛車の動きとして作成した

のかもしれないという内容について述べる。

理由は、玄怪録岑順の宝応将棋を知る者の作と、本ブ
ログでは断定しているため、上将の説明場面を読めば、

飛車動きは、直ぐに思いつける

というものである。
では、説明を開始する。
 話はだいぶん跳ぶが、スペインのアルフォンソ王の
時代に記録された、グランド・アセドレフのグリフォ
ン駒の成立は、13世紀とみられる。つまり川西駒の
成立に近いのである。
 他方、

イスラムシャトランジは日本でも知られていたが、
ゲームに難が有ったので指さなかった

というのが、本ブログの従来よりの主張である。
 ある意味、日本の奔王の成立と、スペインのグリフォ
ン駒の成立と、奔横駒の順序はイスラムシャトランジ
の問題を克服した最初が、

日本なのかイスラムから象棋を学んだスペインなのか

を決める事になる。
 だから、グランドアセドレフのグリフォンと、川西
大将棋の奔横の成立順序の遅早は、大事とも取れる。
 本ブログでは、今まで漠然と、

西暦1230年頃には、川西大将棋に奔横はあった

としてきたので、13世紀半ばのアルフォンソ王の記
録した、グリフォン入りグランド・アセドレフよりは、
幾分か早いとの印象だった。
 しかし、川西大将棋の奔横駒は、出土しただけで、
あり、厳密に言うと駒の動かし方に関する記録が、存
在するわけではない。
 だから、冒頭に述べたように、

玄怪録岑順で、”上将は四方向に横行せよ”等との旨
記載されていて、川西大将棋も京都の公家発で、公家
ならば

太平広記を読んでいるとすれば、飛車動きを最初は、
考えそうだ

というのが、多分に尤もらしい。そうすると、
少なくとも飛車自体が、大将棋に加わった後の奔王動
きの成立という事になるし、最悪は横行が端筋に退い
て、奔横が奔王に近くなった、西暦1250年頃にな
らないと、飛車動きから、八方走りにならないとも疑
われる。ので、日本の八方走りの奔王の成立が

グリフォンに後れを取り、名実共にチェス型の進化で、
問題を解決した地球上で最初とは言えない可能性も、
完全否定はできない。以上のような理屈で、冒頭の結
論になると、たいへんだという訳である。
 本ブログとしては大将棋系は京都の公家でも、藤原
長者に近いクラスが、作成の音頭を取る傾向があった
とみる。ので唐物書籍で、太平広記を読んだデザイナー
は、文脈から、”上将は横行で、飛車動にする”傾向
が、存在する疑いを持つ。そのため奔横は、

奔王動きだけでなく、奔猪の前後歩み動き駒も有り得
るし、飛車から出発した可能性さえある

と、一応疑ってはいるのである。(2020/05/19)

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