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西洋チェス。なぜ大臣の他”女王”が発生したのか(長さん)

現在のチェスは、副官駒がクイーンであるが、
その元になったイスラムシャトランジでは、
概ね大臣であった。取り立てて、ルールを変え
たからといって、駒の名前を変えなければなら
ない強い必然性は無いとみられるのだが。どう
して、女王を大臣とは別に作ったのかを、今回
は論題とする。回答から書く。

起源がスペインの13世紀の4人制アセドレフ
であり、盤斜め置きだったので、ダイヤ型升目
盤で、嗔猪動きをする駒を、大臣とは別に作る
必要があったため

だとみられる。では議論を開始する。
 チェスの女王駒の起源が、イスラムシャトラ
ンジの13世紀のスペイン駒名の大臣であった
という事は、コーデックス・アルフォンソとい
う著名な史料があるので、前から知られている。
紹介は、ものと人間の文化史110、チェス、
増川宏一、法制大学出版局、2003年等にあ
る。ところで、梅林勲、岡野伸著書の”世界の
将棋(改定版)”2001、将棋天国社による
と、4人制アセドレフの兵成りを、そのゲーム
では存在しない大臣から、女王(ダーマ)に
変えたのが、どうやら女王という駒名の起源の
ようである。イスラムシャトランジがコーデッ
クス・アルフォンソの時代には共存していたの
で、コーデックス・アルフォンソでは大臣を、
女王と呼んだのかもしれないが、イスラム教徒
は、大臣のままだったと見るのが自然である。
 そうすると、4人制アセドレフの成り兵を
大臣にしなかったのは、大臣だと何か、都合が
悪い事があったのではないかと、私には思えて
くる。
 考えられる事は4人制アセドレフは、他の3
人のプレーヤーから効率的に金を巻き上げる
賭博用であったろうから、ルールの厳格化が必
要だったとみられる。つまり成り兵のルールが、
猫叉動きで、徹底させる必要があったのだろう。
 ところが、4人制アセドレフでは、盤が斜め
置きのため、

大臣成りだとすれば嗔猪動きが妥当だとする
プレーヤーが発生して、トラブルになった

のではないだろうか。そのため、

ダイヤ型の升目盤で嗔猪動きをする駒を女王
と定義する

というルールがスペイン4人制アセドレフ連盟
(仮称)によって、当時厳格に決められたに違
いない。
 その結果、

女王という駒は、大臣の斜めが縦横に変わった、
北宋将棋(司馬光版)における偏駒のような動
きというイメージが、欧州で定着した

のではないかと私は疑う。それが後代に、混同
されて、

縦にも横にも動く駒になり、ついで王の類だが
王と違って、奔王動きだというので、女王と解
釈し直されてチェスの女王という名称になった

のではないだろうか。つまり、大臣から女王が
生まれたところをみると、13世紀にスペイン
では、

4人制アセドレフは、意外に流行っていた

という事を、意味しているのかもしれないと、
私は疑うのである。(2020/05/26)

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