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大阪府四条畷清滝遺跡無地3枚目玉将駒の可能性(長さん)

さいきん山形県天童市、天童市将棋資料館の
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒をチェックして
私は気がついたのであるが、西暦1184年
程度に成立だとされて著名な、表題の大阪府
四条畷市上清滝遺跡の、石または王将駒、
裏未確認歩兵駒と共出土したとみられる無地
駒が、奈良県の興福寺以外では見出されない、

上代末~中世期の玉将駒ではないか

と、個人的に疑われ出した。
 天童の将棋駒と全国遺跡出土駒では、モノ
クロ写真になっているが、web上には、
以下のファイル名のpdfファイルの、35
ページ左下にカラー写真が掲載されている。

大阪四条畷上清滝3枚.gif

 解像度は成書、2003年発行の山形県
天童市の将棋資料館による、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真とほぼ
同じである。
pdfファイル名:
70937_1_清滝越えの道:一般国道163号の発掘調査より.pdf
ファイルの頭の数字の書き方から察するに、
今まで何回も紹介した、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に収録されているようであ
る。
 文献の表題は、
”第21回特別展 清滝越えの道
一般国道163号発掘調査より”
であり、発掘調査の報告書そのものとは言え
ない。つまり写真が載っているだけだという
意味である。問題の写真をよく見ると、
右端の、中央の王将または石将とされる駒よ
り僅かに大振りに見える、いっけんして字が
書いて無いような駒を、ここでは問題にして
いる。左側の歩兵が、新安沖沈没船出土駒の
歩兵駒に、大きさ形の比率が近く、成立年代
がより後代ではないかと、本ブログで疑って
いる点については、だいぶん以前に述べた。
 薄く墨跡が有って、2文字目は将のように
も見え、第1字目は墨では無くて、白抜けで、
1字目が上半分だけ見えていてかつ、

王に点がある玉将かもしれない

とも思える。

はっきりしない。金将なのかもしれない。

以上、かなり曖昧であり有力な情報では無い
が、今後議論する際には、少し注意したいと
考えている。(2020/08/09)

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