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完全なシャトランジⅡ型は元代以降の成立か(長さん)

イスラムシャトランジの駒数多数ゲームタイプ
の一つに、表題の”完全なシャトランジ”こと、
シャトランジ・アツ・タマームⅡ型がある。
梅林勲・岡野伸著”世界の将棋”将棋天国社、
2000年で、このゲームは詳しく紹介されて
いる。
 以前に、イスラムシャトランジの兵駒が2段
目配列である事を議論したが、このイスラムゲー
ムは、

日本将棋と同じく兵が3段目配列

である。なお、まぎらわしいが
完全なシャトランジⅡ型の他に、
完全なシャトランジⅠ型があり、こちらの方は、
兵が2段目配列だという事である。ペルシャへ
のインド将棋の伝来伝説で、10×10升目、
40枚制のゲームも有ったとされるが、前記
Ⅰ型・Ⅱ型は、それに対応している。イスラム
シャトランジは1段目の配列を、日本の将棋風
に書くと、
飛車、八方桂、飛龍、猫叉、玉将、飛龍、八方桂、飛車
となるのだが、完全なシャトランジⅡ型では、
飛車、八方桂、飛龍、前牛、猫叉、玉将、前牛、飛龍、八方桂、飛車
になるという事だ。前牛は和将棋の駒で、玉将
と動きが同じで、勝敗に関連しない駒。なお
Ⅰ型は少し違い、
飛車、八方桂、飛龍、猛牛、猫叉、玉将、猛牛、飛龍、八方桂、飛車
との旨記載されている。
 繰り返すが、ポーンがⅡ型では10升目象棋
の3段目に、一列に10枚配列されていて2段
目が空いており、Ⅰ型では2段目に配列される
ので、隙間が無いという事である。
 今回論題にするのは、この、
完全なシャトランジⅡ型の成立年代である。
回答から書く。

中国の北宋時代から明代のどこかであり、元代
より遅いとは、確定し辛い

ように私には思える。
 では、論を開始する。世界の将棋には残念な
がら前記、完全なシャトランジの成立年代に関
する情報が無い。
 他方、本ブログでは過去、通常の
イスラムシャトランジがイスラム圏では、元代
より前には強く流行っていたとの認識を提示し
た。この事から、

完全なシャトランジⅡ型は通常の
イスラムシャトランジが強かった、北宋代には
成立し得ないのかと言えば、否だ

と考える。つまり成立する可能性がある。
理由は、

日本将棋が強かった日本の江戸時代の江戸でも、
中将棋は存在はした

のと、同じパターンだとみられるからである。
メインのナショナルゲームが8升シャトランジ
であっても、

当時の文明国であるイスラム圏では、ゲーム・
デザイナーの知識レベルは高く、ペルシャへの
10升目将棋伝説をも参照しながら、
”完全なシャトランジⅡ型”位は、通常のシャ
トランジが絶対視された時代でも作れただろう

と個人的に疑っているからである。世界の将棋
のゲームの記載順序を見ると、チムールチェス
の前、ビザンチンチェスの後ろに、
シャトランジ・アツ・タマームⅡ型を記載して
いる。のでその点でも、元代より前か後ろかは、

まるではっきりしない。

よって冒頭に述べたように、世界の将棋からし
か、今の所シャトランジ・アツ・タマームⅡ型
に関する情報を得ていない私には、このゲーム
の成立は、中国史に対応させると、北宋時代か
ら、明代の何処かだとしか、言いようも無いよ
うに見える。
 なお、シャトランジ・アツ・タマームⅡ型が、

ミャンマーのシットゥイン系の古ゲームを知っ
た上で作成されている事は、ほぼ確か

だ。理由は、世界の将棋に、このゲームの
”猫叉駒(副官、大臣、または将軍)が、

常に1枚しか存在できない”と記載されていて、
それが現行のミャンマー・シットゥインと酷似

しているからである。更には、世界の将棋には、
前記で前牛と私が表現した、余分に加わる駒が、

Ⅱ型では、名称が砲(ダッバーパ)、動きが
前牛と記載され、中国シャンチーの砲に、名前
だけが近似している。

というよりシャトランジ・アツ・タマームⅡ型
は、駒種の字ヅラがほとんど中国シャンチーだ。
いづれにしてもシャトランジ・アツ・タマーム
Ⅱ型はイスラム圏から見て、東方のゲームを広
く情報収集した上で、恐らくイスラムの象棋ゲー
ムのデザイナーによってデザインされた事が明
らかである。
 なお、話は前後したが、兵駒を3段目に上げ
た事自体、このゲームが、シットゥインの考え
方を取り入れたことは、明らかである。だから
インドを飛び越して、かなり早期の段階で、当
時の文明国イスラムの情報網は、世界に充分に
広がっていた事が伺われる。
 なお完全なシャトランジのⅠ型とⅡ型の違い、
猛牛と前牛の違いは、Ⅰ型のルールのままⅡ型
を3段目兵にすると、初期配列で身動きできな
い駒が、猛牛×2、飛龍×2と4枚になるので、
閉塞感が生じ、2升飛び駒の枚数を減らすため、
ミャンマーシットゥインの象、すなわち銀将動
きを参照して、その象駒である、動き銀将と同
じ隣接升目動きの前牛に、付け加えた双方2枚
の最下段の駒を交換したのであろう。なお、付
け加え駒の名称は、Ⅰ型では砲ではなくて駱駝
になっている。その点でⅠ型とⅡ型はゲーム名
称が同じであっても、趣が少し違い、Ⅰ型の方
については、北方のシャトランジ系ゲームの混
入を思わせる。
 何れにしても。
 たとえモンゴル帝国に攻められ、反省により
世界の将棋を、イスラム世界が取り入れたとみ
られる前であったとしても。知識人としてのゲー
ムデザイナーの情報網は、イスラム諸国内に留
まらずに従来より、相当にグローバル化してい
たのであろうと、疑ってかかるべきであると私
は考えている。(2020/08/29)

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