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盗み将棋と振り将棋を繋いだゲームの起源(長さん)

たぶん江戸時代の古文書等に書いていないと
認識するのだが。子供の将棋遊びのカテゴリー
であるぬすみ将棋、つまり山崩しと、振り
将棋は、駒種によって、個別に駒に価値を付
与して、その取得総駒における数値で勝負を
決めるという点で、他の将棋遊びには無い共
通性がある。違いは、金将は振り将棋で取引
値を決める道具として使うので、ぬすみ将棋
では価値点数が決められるが、振り将棋のと
きには対象外になるという点だけである。他
の子供将棋遊びでは一般に、駒の種別による
点数付けという作業は行われない。ただし回
り将棋には、駒種により序列が存在する。
 そこで、金将を取り除いて置くか、ぬすみ
将棋で0価値にして置くか、どちらかにして
おけば、この2種類のゲームは、最初に盗み
将棋(山崩し)をしてから、山が消えた後に、
一般に不平等な駒の配分状態から、引き続い
て振り将棋を始めて、それを続けるうちに、
最後まで、破産しなかった者を勝ちにすると
いう方法で、複合ゲームをする事が可能であ
る。
 東京都の下町で、このようなゲームが具体
的に、数十年前に行われていたというような
話題を、本ブログでした事が有る。がこの複
合型ゲームの、成立年代や発祥地等はもとよ
り不明であった。しかるに最近、この複合ゲー
ムが、

昭和の初期に、栃木県でも行われていた

との旨と取れる情報を得た。
以下の成書に、ぬすみ将棋と振り将棋が連結
されて、1つになったゲームが紹介されてい
たからである。
 文献名は以下の通り。
江戸の子供遊び事典、中田幸平著、八坂書房
2009年。そこの148ページ以降の、
”将棋遊びいろいろ”に、江戸の文献は特に
引用せずに、”盗み将棋は振り将棋の前哨戦
である”と取れる旨が、紹介されている。
 なお、中田氏は栃木県栃木市の出身で、
20歳で東京に出て、劇団に加わり、後に、
劇団俳優座に所属して活躍した人物でるとい
う。つまり彼は、太平洋戦争以前に、児童で
あった世代であり、

当時は、栃木県在住だった

との事である。つまり

昭和の初期、北関東に、表題の連結型子供将
棋遊びが、有った事になる。

以上の事から、恐らくだが、

このゲームは、関東一円で行われる事が多かっ
たらしく、大正時代末期頃にはすでに存在し
た可能性が、かなり高い

と推定される。更に中田氏は、駒の点数に関
して金額換算だったと取れる旨、交換のとき
に”付け”にする事が出来たとの旨を述べて、
それを示唆している。
 なお、

東京下町数十年前のバージョンでも、駒の価
値の表現単位は”円”であり、厳密には”点”
という表現は使わなかった

と、実際にゲームに加わった経験者である私
は認識している。
 直接には繋がっていないのだろうが。シャ
ンチー駒を貨幣に準えていた、宋代の中国人
と共通性のあるゲーム思想である点に、この
遊びに関しては、注意を向ける必要が有るだ
ろうと私は見ている。(2020/09/01)

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