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新潟県新発田市砂山中道下遺跡銀将は南北朝期(長さん)

西暦1998年の事であるから、かなり前で
あるが、表題のように、新潟県新発田市の
砂山中道下遺跡から、成り一文字金銀将駒と
みられるものが、出土している。

新潟県砂山中道下銀将.gif

 例によって発掘報告書が奈良文化財研究所
の発掘報告書データベース全国遺跡報告総覧
にも収録されている。web上に公開され、
pdfファイル名は以下の通りである。
24225_1_野中土手付遺跡砂山中道下遺跡.pdf
なお遺跡は、干拓した後に出来た、14世紀
頃まで有った集落だという事である。
 本遺物は、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
(2003)にも写真が載っている。が、成
立年代が200年間位、違って紹介されてい
るようである。つまり、
天童の将棋駒と全国遺跡出土駒に書かれてい
るように、成立は

室町時代・安土桃山時代ではなくて、鎌倉
時代末・南北朝時代と、少なくとも2006
年の発掘報告書には記載されている。

 上の写真には裏面が無いが、報告書中ほど
の図54に、スケッチがあり、普通の成り金
銀将駒のようである。形からは、天童の将棋
駒と全国遺跡出土駒で間違えたように、戦国
時代~江戸時代風の将棋駒のように、私には
見える。

天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の編集者も、
駒の形から、分類するときに錯覚した

ような気が、私にはする。しかしながら、発
掘報告書では”共出土した土器から14世紀
のものと考えられる”との事である。神奈川
県鎌倉市佐助谷遺跡より出土している駒の輪
郭と比べると、鎌倉期~南北朝期のもののよ
うに、見えない事が良く判る。
 なお、この遺跡からは14世紀説を裏付け
るように、土器の他に、宋銭が複数出土して
いる。が江戸時代の寛永通宝も、1枚だけだ
が出土しているらしい。将棋駒も同様の紛れ
物なのではないか。しかし正確な事は良く判
らない。目下の所、私には

成立年代が謎の駒

としか、言いようが無い。(2020/09/07)

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