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中将棋の玉駒。幕末には王・玉型(長さん)

本ブログでは、尊敬閣文庫蔵、色葉字類抄
二巻物(八木書店発行、西暦2000年)
にあるように戦国期の西暦1565年時点
で、中将棋の玉駒は、双玉が恐らく正統と
見ていた。これが、佐藤敬商店、西暦
1970年程度作成の玉・王1:1の、
中将棋駒に、切り替わった境目が、いった
い何時なのかについては、

江戸時代の出土駒に、中将棋の玉・王が
多数ある訳でもないので、物証があるのか
どうかという点で、充分明確な訳でもない

と認識していた。
 が最近、増川雅人氏著作の将棋駒の世界、
中央公論新書1869(2006)に、

前沢碁盤店が保存している幕末の中将棋駒
で、”安清駒”という類の将棋駒の写真が、
同書19ページに記載されているのに、遅
ればせながら気がついた。これは、上記の
問題を解く証拠の一つとして、とても

貴重

に思えた史料だった。成書の写真から、

幕末時点で、中将棋も玉・王1:1型が、
存在

した事が判る。
 個人的には、徳川家治が将軍だった、
西暦1779年頃に、後桃園天皇から、
閑院宮流の光格天皇に切り替わった所で、
”中将棋を指す

藤原摂関家は、双玉将棋駒を使用”の旨の
記憶が完全消失

したと、個人的に見ていた。奥御用で活躍
するほどに、将棋の家の者の権威が上がり、
将棋三家という将棋文化を仕切る担い手が
現実存在するので、皇族は問題から手を引
いてよいという空気が出来たためと、解釈
したからである。
 冒頭の保存され続けた将棋駒史料は、
水無瀬兼成の中将棋駒や、著書の
将棋纂図部類抄が双玉な事と合わせると、

切り替わりが江戸時代中の事であるを確定

させる。ので、掘り出す苦労が無かったか
らと言って、この前沢碁盤店保存の中将棋
駒セットは、

疎かに出来ない重要史料の一つ

だと私は考える。(2020/09/15) 

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