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山姥物語りは今昔物語集に有る模様(長さん)

本ブログではこれまで、摩訶大将棋・摩訶大大将棋
の成立年代の下限(古い)を決める、成立年ギリ
ギリに成立した要素として、古猿の成りの山母(山
姥)を挙げてきた。その際世阿弥の能の「山姥」が
言葉の初出だとし、西暦1440年代前後成立の根
拠と言う事にした。しかるに最近、西暦1120年~
西暦1449年の間の成立で、西暦1120年の方
に恐らく近いのではないかとされている、今昔物語
の27巻(本朝及び霊鬼)15番に、山に住む老婆
の姿の人喰い鬼の話「産女南山科へ行き、鬼に値ひ
て逃ぐる語(話)」が載っているのを知った。今回
は、それによる論の修正の必要性の有無について報
告する。
 結論から述べると、

今昔物語の成立期が不確定なので、山姥の内容は確
かに書いてあると見るが、論の修正は不要なのでは
ないか

と本ブログでは考える。
 では説明を開始する。
 世阿弥の能の山姥以外に今昔物語集に、山の別荘
に棲む、人喰い老婆の鬼の話が有るのを知ったのは、
私のケースは、以下の成書の、山姥の項に紹介され
ていたからであった。
日本説話伝説大事典(編集者)志村有弘、諏訪春雄、
勉誠堂出版、西暦2000年。
そして以下の成書に、今昔物語集の元の鈴鹿家蔵本、
「産女南山科へ行き、鬼に値ひて逃ぐる語(話)」
が確かに載っていた。
新日本古典文学大系37今昔物語集五、森正人校注、
岩波書店、西暦1996年。
 小学館の国語大辞典では、山姥という単語が無け
れば引用されないので、当然国語辞書に、今昔物語
集の、この話は出ていなかったという事である。
 そこでまず、今昔物語集の第27巻(鈴鹿本)に、
山姥の話が出ていると言えるかどうかに関してだが、
本ブログでは、

Yes,出ていると考える。

山姥の姥の字は、”年老いた女”そのままであるし、
今昔物語集の第27巻の「産女南山科へ行き、鬼に
値ひて逃ぐる語(話)」の鬼は、我々が現在、山姥
と呼んでいる妖怪と、ドンピシャであると認めざる
を得ないような描写が、はっきりと出ている。

この話から、じきに「山姥」とか「山母」(ひっか
け)いう単語は生まれるだろうと私も思う。

なお、原書の表題で、「産女」は妖怪ではなくて、
私生児を出産した、普通の被害者女性として描かれ
ている。
 だから、

今昔物語の第27巻(鈴鹿本)が、西暦1449年
より、本当に相当に前の成立なら、今までの本ブロ
グの見解は、明らかに修正が必要だ

とみられる。
 他方、一般には今昔物語が、室町時代の成立では
なくて、平安時代の末だとされている。その根拠は、
前九年の役、後三年の役に関する説話を収録しよう
とした形跡が見られるのに、保元の乱、平治の乱、
源平合戦などの重大事な歴史的事件に関連した説話
が、いっさい収録されていない点からだとの旨、私
は聞いている。
 しかしながら、そもそも

「今は昔」で始まる説話を作った人間が、相当慎重
に、成立年がばれないように、話を組み立て無いと
したら、おかしな事

なのではないかと私は疑う。

保元の乱、平治の乱、源平合戦は、わざと書かなく
ても、作者の勝手だとすれば、特に不思議ではない

のではないか。むしろ、南北朝時代の動乱を目の当
たりにして、世の無常を感じた編集者だったから、
これらの鎌倉幕府成立の起因となった合戦の記載が、
無いのかもしれないとも私は思う。だから、

今昔物語集の成立年代は1120年~1449年と、
今の所、本ブログでは幅広く見なしておきたい。

そもそも西暦1120年時点で起こった、その時代
の人間しか判らない史実が、いろいろ書いてある書
物だという話が、特には無いにも関わらず、
成立年代が”ほぼ平安末期に決まりだ”というのは、

やや無理筋だと、個人的に私は感じる。

それに加えて、その時代から200年以上、書籍群
の存在に関して記録が無いのも、これだけ大きな書
物の場合は、かなり妙な話のような気がする。更に
素人情報程度だが、鈴鹿家蔵本には、書写更新に関
する情報が、私の手元には入っていない。以上の3
点の不自然さから、

あくまで、本ブログ内だけでしか、通用しないかも
しれない

のだが。今昔物語集の成立年代問題に関しては、慎
重に扱った方が良いように、今の所私は個人的には
思っている。以上のような次第で、冒頭述べた結論
にしたのである。(2020/09/16)

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