SSブログ

何故将棋に跳び猛牛・飛龍動で空升進み駒が無い(長さん)

以前に、数世紀頃のインドには、現在の飛び将棋
のような動きのルールのゲーム駒があり、インド
2人制古チャトランガの馬駒や車駒へ代用として
使用されたとの旨の、仮説について説明した。
 しかし、考えてみると飛び将棋駒は、普段は
嗔猪や猫叉のような動きで、相手駒が隣接升目に
有る時、猛牛や飛龍動きになるものの、更にその
前に、もう一枚相手駒が有るときには、踊りの猛
牛や飛龍とは違って、相手駒を2枚取りできずに、
動けないルールである。つまり2升目先の升目は、
空き升目でないと、直ぐ隣の相手駒は捕獲できな
い。その点で猛牛や飛龍と違うし、

そもそもそのようなタイプの駒は日本将棋に無い。

 そこで、インド2人制古チャトランガのような
将棋型のゲームに、元の飛び将棋型の動きが、
完全に同じ形では取り入れられず、移動先の升目
に相手駒が居るときには、取ってその升目に進め
るようになったのは、何故なのかを今回は論題と
する。回答から書く。

単に後代に後調整して、取り入れなかっただけだ

と考えられる。では、論を開始する。
 そもそも、日本の天竺大将棋では、江戸時代の
古文書の文面を解釈しなおして、ごく最近に
大将駒の跳び先は空升目で、間の相手駒は何枚で
も取れるというルールで、指される試みが、現在
では行われている。
 つまり確かに、途中の駒を取って、跳び先は空
升目の場合に移動出来るだけだという駒は、日本
将棋、チェス、インドのチャトランガには、どれ
にも無いのだが、

日本の駒数多数将棋の天竺大将棋と、大局将棋の
ある種のバージョンには現存在する。

だから、数世紀のインドで、飛び将棋型の駒を、
インド二人制古チャトランガに代用したときにも、
元ゲームのルールを適用するローカル・ルールも
ひょっとするによると、試されたのかもしれない。
が、

たまたま、調整の過程で採用されなかっただけだ

と見るのが、ツジツマの合う見方であるように
思われる。
 そもそも、間だけの駒を取って、その向こうの
升目に跳び越える駒のルールは、走り駒に適用し
辛いし、駒枯れになれば、猛牛・飛龍型の飛び将
棋駒は、嗔猪や猫叉と同じ歩み駒と実質同一なの
で、変化が緩慢になりすぎていまう。
 更には、終盤相手に、端の方に王駒と共に、
相手駒を固めて囲いを作られると、攻めようが無
くなる。よってチェスや将棋型のゲームの場合に
は、今では普通になった、移動先の升目の相手駒
を単純に取る方が、ゲームのバランスを取るのに、
適しているので採用され続けた。
 以上のような試行を経て、元々のゲームの駒の
動きは採用されずにチェス・将棋・チャトランガ
流の、移動先の相手駒を取るルールが、たまたま
2人制古チャトランガのゲームでは、数世紀に於
いて、維持された今に至っただけなのではないか。
 以上のように、私は結論を下すのである。
(2020/09/26)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー