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本ブログ版将棋の駒はなぜ五角形なのかの特徴(長さん)

”将棋の駒はなぜ五角形なのか”について、
今回は以下に議論する。
 本ブログでは、増川宏一著のものと人間の
文化史23-1、「将棋Ⅰ」法政大学出版局、
1977の結論である、

将棋の駒型は経帙牌から来る

との説を採る。そして更には進んで、
日本の将棋の将棋駒を発明した者が、経帙牌
の裏表に、ほぼ現在の駒名に対応する駒名を

墨書きして以降、全く無変化

との見方をする。今後、出土遺物に新しい
情報が無い限り、わが国に於いて

原始将棋時代に、経帙牌型駒以外の駒は無い

と見るのが、本ブログの独自見解である。
 しかしながら、その後多くの考察例が現わ
れた。すなわち史料としての根拠は、まだ発
見されてはいないものの解明『将棋伝来の謎』
で松岡信行氏が、また自身のブログで将棋駒
師の熊澤良尊氏が、「五角形駒の前に長方形
木駒が存在か?」とも述べておられる。
更に最近では”将棋の駒はなぜ五角形なのか”
という題名の成書(永松憲一著)も発行され
ている。更にはweb上では、木簡の形が元
との説もある。
 今回は、初めに答えを書いてしまったが、
本ブログの”無変化説”について、以下補足
を少し書く事にする。
 本ブログは基本的に、日本の将棋は外国産
との立場を取る。その必然的帰結として、

日本の将棋駒の発明は、伝来品一般の交易の
玄関口である太宰府か博多にほぼ限定される

と仮定されている。そして、次が重要だが、

将棋駒の最初の駒師は、輸入経文の全国配布
の配送担当者

とほぼ特定している事である。

ゲーム具と中国からの輸入経文が、交易船内
で混載されていたに違いない

と、輸入品の取り扱いを、常識的にそうでは
ないかと本ブログ見る。そのためその仮定か
ら、上陸時に、経文と日本への伝来ゲーム具
が続けざまに処理されたと見ているのである。

つまり、経文の説明を交易商人から聞いて、
牌に項目を記入して、ついで日本への伝来
将棋具(後一条天皇用)のルール説明を聞い
て、それも余った牌に、自分も後で楽しもう
としてメモした

という意味である。
 そして何度か述べたが11世紀当時、全国
配布する経文は経帙で束ねなれ、全国の寺院
ではその経文自体を使うか、または、更に写
経されたと考える。だから、

配送担当の所には、大量に経帙牌が有ったの
で、今述べたような事が出来たに違いない

と本ブログは見る。よって、

他に伝来将棋をする道具は、川に行けば小石
は有る等で考え付けたが、経帙牌に書いて、
やってみた事も有ったに違いない考える

のが本ブログ論である。そして本ブログでも、
絵馬の形が、富豪になりたい等の願望を叶え
る呪いの形であるために、平安末期に於いて、
五角形に字を書いた道具は、太宰府・博多に
於いて好まれたと、仮定している。その結果、

小石で行った、原始平安小将棋を道具の面で
駆逐

したと見るのに、さほどの不自然感が無いと
考えるのである。だから、

長方形駒の時代など無いと、ここでは見る

のである。つまり経文配送センターの下級僧
と、腕力で彼の道具を横取りできる、太宰府
の”やんごとなき”荒くれ武者が、武術とい
う彼らの仕事に絡めて、合戦の戦術練りの上
達を口実として、原始平安小将棋を指す程度
なら経帙牌駒で需要は足りたと見るのである。
 更に、

淘汰されて生き残った、五角形駒方式

は、近世になると、織田信長の楽市楽座令が、
五角形立て札で出されている事をも一例とし
て挙げられるように、

逆らうと怖い、強い者

とのイメージを持つようになって補強された。
また書き駒師の書く字体も進化して、反対側
から将棋駒を見ると、

怒って攻めているように、見えて来るよう書
体も、工夫が行き届いてきた。

そのため近世には、更に現行の五角形駒が、
不動の地位をわが国では占めるようになった。
以上のように、現代に至る高級将棋駒の
姿を見ても、特に矛盾は無いのではないか。
以上のように見る。
 本ブログでは、よって冒頭の結論”将棋駒
は経文束ね札の経帙牌が源であり、四角形駒
になった事など、基本的に一度も無い”を、
依然支持するという事である。(2020/10/04)

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