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厩図の将棋は、どのようなルールだったか(長さん)

西暦1500年頃に狩野元信が描いたと伝わる、
国立博物館の「厩図」の将棋部分には、3人の
人物が絵かがれている。そして左側の僧侶が、
ゲームで勝ち名乗りをあげているような構図で
ある。右側の烏帽子の人物は、負けましたとい
う表情。残りのもう一名は、敗者の配偶者で、
”楽しそうですね”と笑顔で旦那を見ているよ
うな、ほのぼのとした構図である。増川宏一氏
は、僧侶の手に将棋駒が書かれていると、前に、
持ち駒ルールの成立年代に関連して述べている。
本ブログでは、この

僧侶の手の平の、将棋駒状の四角の中に”金”
のようにも見える文字か、筋の有るように見え
る模様の有る物品について、言及しなかった。

今回は、本ブログでも

増川氏の見立てが正しそうに見えてきたので、
駒の有るのは認める

として、ここから

将棋のゲーム種が割り出せないのか

を論題とする。回答から書く。

僧侶は”拙僧のもとには、まだ歩兵が一枚ござ
いまする”との旨を述べており、日本将棋で、
二歩の規定が、今のより緩いバージョンではな
いか

と疑われる。では、論を続ける。
 増川氏も指摘していたかもしれないが、左側
の僧侶は、左手の掌の上に、将棋の駒を持って
いるだけでなく、

右手の人差し指を一本立てている。

だから、私は、左側の僧侶は持っている将棋駒
について、

1枚は、特定の駒種だと主張している

のだと考える。なお、左僧侶の左手の平の駒の
枚数は、私には良く判らない。
 またこの絵では、盤上の駒が、すべてデフォ
ルメされていて、描かれていない。
 ところで、この当時の小将棋には、日本将棋、
駒のハンデの有る日本将棋や平安小将棋(持駒
有りタイプ)、平安小将棋(持駒有りタイプ)
が並存していて、転移期だったと本ブログでは
見る。このうち、平安小将棋(持ち駒有りタイ
プ)は、駒の個性差が少なく”特定の駒種の持
駒が、一枚有る”事を自慢する可能性は少ない
のではないかと、一応疑っている。
 だから、西暦1500年前後の厩図の将棋に
は飛車と角行があり、日本将棋を描いたように
見える。
 次に問題は、僧侶の手に持っている駒種で
あるが、手で握ると、持ち駒が何かが、わかり
にくい駒であろうから、

歩兵ではないか

と疑う。元々18枚有るから、持ち駒として1
枚を強調するとしたら、歩兵を手に持っている
事をジェスチュアで示している疑いが濃い。
しかし、

現在の日本将棋では、二歩禁のルールが完全

な形になっているから、と金の分を考慮しなが
ら、盤上の各筋の残歩兵の様子を見て行くと、
現実として

相手の隠し持つ歩兵は、数の見等が付きやすい。

 よって、僧侶が持ち駒歩兵一である事を強調
するところを見ると、

所々の筋が、2歩になっていて、相手の持ち駒
の歩兵の数が把握しにくい、原始的な日本将棋

を指しているような気が、私にはしてならない。
 なお恐らく右側の烏帽子の相手棋士は、玉が
追い詰められていて、その歩兵で必死になると
いう局面と、ここでは推定している。
 また前に本ブログでは本因坊算砂と大橋宗桂
初代の棋譜を議論した時に、1570年前後に、
二歩禁のルールが、やや緩い日本将棋の存在が
あるのではないかと、示唆している。
 相当に曖昧だが。ひょっとすると厩図の将棋
は、そうした初期の日本将棋のバージョンの
存在を、淡く示唆しているのかもしれないと、
私は疑う。持ち駒を日本将棋で隠匿しなくなっ
た時代つまり近代には、隠匿されても持ち駒が
推測できる整備されたルールに、とっくに進化
した後だったのかもしれないと、言う事だと私
は思う。(2020/10/08)

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