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天明期成立芸術要覧の”知恵将棋”の正体(長さん)

古事類苑30遊戯部将棋の所にだけ記載され、
他に情報の乏しい将棋類に、江戸後期の天明期
に成立したとされる、芸術要覧記載の知恵将棋
がある。今回は、この将棋が何なのかを、ずば
り論題にする。回答から書く。

立体駒を工夫して作成した中将棋

だと本ブログでは今の所考える。では、議論を
開始する。
 この将棋種に関する議論は、多分だが、
山本亨介氏等、著名な将棋史家の誰かが言及し
ていたと考える。この将棋種の正体について、
即断していた者が居たという記憶が私には無い。
個人的に、

江戸後期の正体不明の将棋

と以前から私は考えていた。
ともあれ芸術要覧を更に要約すると、”

立体駒で10種類以上の違う形の物の有る将棋

という事である。京都の東寺の付近で、老人2
名が指しているのを、江戸時代後期に見かけた”
となっている。形態は比較的幾何学的に単純な
ものが多いが、角数の多い正多角形の変形の
ような形の物が有るようである。駒の動かし方
ルールは、東南アジアや西洋チェス同様、形で
区別され、駒名は駒には書かれていない。
幾何学形から有る程度類推できるようなルール
のようである。以上の情報から、知恵将棋とは
何者なのかを、判断する必要がある。
 ルールや盤の仔細が書いてないので、

確定は困難

だ。しかし、老人が新しいタイプのゲームをい
ち早く取り入れるというのは、別の時代である
にしても不自然であるし、

識字が出来なくても、中将棋を指そうとしてい
るという解釈が、最も自然

なように、私見される。つまり文面からゲーム
名を、老人から聞き取ったように読み取れるが、
中将棋を、知恵将棋と聞き間違えたと考えると
一応納得出来る。
 著作者は日本将棋を単に将棋と表現している
ようで詳しくないようあり、つまり江戸時代の
京都の者の見聞のようではあるが、見聞者が、
中将棋というゲームを確実に知っているように
は、私には芸術要覧の当該箇所からは読み取れ
ないという事実がある。
 恐らくだが、天明期には禁書が緩んでいるの
で、東南アジアに立体駒のゲームが有る事が、
中国書籍等に書かれていて、ゲーマーは知って
いた。そこで誰かに立体駒で中将棋を試作させ
たものを、デモンストレーションで、京都の東
寺付近で指しているのでは無いだろうかと疑う。
 目的は、庶民に中将棋が出来るように、字が
読めなくても指せるように、立体駒にしたとい
う普及目的が、一番尤もらしい。
 形の種類がたくさんあるのは言うまでも無く、
中将棋の駒種が多いためであり、成ると成り用
の駒と交換するといった、工夫が芸術要覧の文
面には無いが、更に施されていたのかもしれな
い。また、中将棋は取捨てだから、

江戸後期なら何らかの方法で色分けされていた

のであろう。
 無論以上の推定は、情報源の情報内容がはっ
きりしないため、確定出来ない。他の記録が出
てこないと、これ以上の解明は、なんとも進ま
ない、もどかしい話だと私は思う。(2020/10/09)

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