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今昔物語は”夜中”の使い方が近世(長さん)

摩訶大大将棋、摩訶大将棋の成立年代の問題
に関連して、内容的に山姥が出てくる、
今昔物語の成立年代の特定を、以前から本ブ
ログでは問題にしている。以前に、辰刻から
午刻までの時間が、平安時代の”時の奏”の
存在する時代には、きっちり4時間ではなく
て、2時間強から4時間までの不確定性が有
る事から、その認識の感じられない今昔物語
の一部の説話に関して、中世鎌倉時代中期以
降の成立ではないかとの旨を論じた。今回は、
表題のように、

”夜中”が午前0時きっちりを指しているよ
うであり、上代から中世前期の、春・秋、昼
夜中分時期に22時48分~翌日1時12分
的では無い

との旨の議論をする。では以下に議論を開始
する。
 岩波書店の新日本古典文学大系(2001)
には今昔物語集索引の冊が別冊にあり、問題
の”夜中”が、以下の箇所に書かれていると
ある。なお○内の数字は新日本古典文学大系
の巻数を表している。
③424ページの5行目。425ページの
14行目。
④79の3行目。254の5行目。349の
1行目。
⑤24の5行目、119の1行目。153の
1行目。164の1行目。321の6行目。
 この中で、特に第③巻の”夜中”が顕著な
のであるが、何れも

”午前0時過ぎに”と意訳できるような内容

に私には見える。
 ところが、平安時代の院政期頃には、夜間
の時制は、5分割された”更点法”を用い、
日暮れ、宵、夜中または夜半、暁、夜明けの
5領域に分割されていた旨が、以下の成書に
ある。
岡田芳朗編”暦の大事典”、朝倉書店
(2014)、第12章日本の時刻制度。
 それによると、夜間の時制は上代から不定
時法であったものの、巾を決めて時刻が表現
され、春分少し前か秋分少し後の、昼夜が
ちょうど12時間00分に中分される季節に、
以下のようになっていたとされる。(地方時)
日暮:18時00分~20時24分。
宵口:20時24分~22時48分。
夜中:22時48分~01時12分。
暁口:01時12分~03時36分。
夜明:03時36分~06時00分。
従って、

夜中過ぎとは、01時12分より少し後の事
であり現代のように午前0時過ぎを指さない。

源氏物語等で、夜中という熟語が使われるが、
”夜中になって、それを過ぎ”と書かれ、
夜中という時刻に巾が有る事が判る。

所が今昔物語の夜中は、0時0分というポイ
ント時刻を指すような、ニュアンスになって
いる。

具体的に第3巻の424ページの5行目、
425ページの14行目、実際にはもう一箇
所有って、426ページの第1行目を見ると、
夜中という時刻に巾が有るように、私には読
めない。
 その為、あたかも

安土桃山時代頃に、今昔物語が成立している
かのように、私には個人的にだが感じられる。

本ブログの管理人は、古文文法に詳しく無い
為、以上の記載は流動的だが。
 前回議論したときにもそうだったが、
今昔物語は、時刻表現が妙に近代的であり、

今昔物語の成立年代のnet上の通説につい
ては、その点に関して妙な所がある。

以上の心象を、今回は個人的に強く抱くよう
になったのである。(2020/10/27)

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