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兵庫県朝来市喜多垣遺跡から底面王将?土器(長さん)

奈良文化財研究所の発掘報告書のデータ
ベースの”全国遺跡報告総覧”の中に

土器の底の破片の中に、王将駒の絵のよう
に見える”平安時代、10世紀頃成立”の
遺物が、2014年前後に出土

しているとの旨の報告がある。以下には、
その発掘報告書の内容を話題にする。
 場所は、表題のように
兵庫県朝来市喜多垣遺跡であり、報告書の
pdfファイルは、以下の名称である。
19277_1_朝来市喜多垣遺跡.pdf
 著作者は、兵庫県教育委員会とある。
 そこの、写真図版の15の、遺物番号
110が問題の、王将と書いたようにも、
彫ったようにも見える、土器の底面裏とみ
られる破片の写真である。

朝来市喜多垣王将.gif

写真映りで、たまたま将棋の駒に模様が見
えているのか、本当に将棋の駒を描いたの
かは、この写真しか見ていないので、私に
はよく判らない。右にズレているのは、左
隅に駒の作者の名前でも、書いてあるのか
もしれない。
 将棋駒の絵自体は崩れているが、もとも
と五角形であったようにも見え、

一見すると大阪四条畷の王将駒に似ている

ようにも私には見える。王の字体は、鳥羽
離宮出土駒と同じく、中央水平線が、少し
上ズレになった真性王形だ。なお成立年代
は、発掘報告書にはかなり、巾が有るよう
に書いてある。奈良時代~平安時代成立だ
と言う事だ。仮に奈良時代なら、ダントツ
の、将棋関連最古の遺物に躍り出る。

持駒使用の謎の、木村義徳氏が喜びそうだ。

なお、この遺跡からは、安土桃山時代頃に
成立したとされる、黒と見られる碁石も、
1枚だけだが出土しているという。またこ
の遺跡は、古くから京都と、繋がりが深い
場所との事である。控えめに見ても写真の
模様が仮に

偶然で無いとしただけでも、関西では、
興福寺以外で、中世まで玉将は出土しない

との経験法則を、更に更新した事にはなろ
う。(2020/11/05)

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