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兵庫県の深田遺跡将棋駒の写真記載報告書(長さん)

兵庫県豊岡市日高町水上字深田の深田遺跡で、
1980年代に歩兵駒が出土し、興福寺駒が
知られるまで、最古のレコードであった事は
よく知られている。
 が成書にスケッチの紹介が有っても、書い
てある字が何であるか、判るような写真を、
私は見かけた事が無かった。しかるにweb
上のブログの1ページに、歩兵の字が鮮明に
判る写真の載った、発掘報告書の紹介がある
のを、最近見かけた。
 報告書は、以下のような表題のようだ。
兵庫県文化財調査報告書第99冊
-深田遺跡・カナゲ田遺跡-平成3年3月-
兵庫県教育委員会(1991)
ただし、将棋駒の情報は1986年頃発行の
木簡研究8号に載っているとみられる。今述
べた事は、”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒、
(2003)”に載っている。なお同書には、
駒のオモテと裏の写真もある。が、冒頭にも
示したようにどちらの面の字も、私にははっ
きりとは読み取れない。
 なお、web上で発見した、以下の発掘報
告書が紹介されたwebのページは、永らく
更新されておらず、閉鎖の恐れが有る。ブロ
グの表題は、以下の通り。

古墳から歴史を学ぶ会
2016年07月25日
ページ表題:
豊岡市の遺跡6-深田遺跡
URL:
https://15726469.at.webry.info/201607/article_5.html
ブログのトップページのurlは以下の通り
である。
https://15726469.at.webry.info/
問題の歩兵駒の写真は、以下の図のようなも
のである。

兵庫深田歩兵.gif

前にも述べたが、全体として磨耗して小さく
なったいる分を考慮せずに、写書しようとし
ている為であろう。元々字は、さほど崩れて
いない。つまりスケッチで出回っているもの
よりも、歩兵の字は、達筆との印象である。
 しかしながら、成りの駒名は、どんなに目
を凝らして見ても、”と”だか”金”だか、
私にはよく判らない。完全に消えているか、
または、最初から無地の可能性も有りそうだ。
 西暦1094年~1096年の間の成立と
され、興福寺1058年物を除いて、今の所、
明確な将棋出土駒としては、古さで第2位と
みられると、私は認識している。(2020/11/26)

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