島根県松江市下がり松遺跡から王福墨書杯(長さん)
西暦2000年頃の発掘だと見られるが、
表題の遺跡から、裏面に王将とも読めるよ
うな
8世紀後半成立
の墨書土器が出土しているとの事である。
字が薄くて、判読に不確定性が大きく
将棋の存在を、示しているとは言いがたい。
発掘報告書は、今まで何回も紹介した、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
”全国遺跡報告総覧”の中にあり、表題は
以下の通りである。
田中谷遺跡、塚山古墳、下がり松遺跡、角谷遺跡
島根県教育委員会、2002年3月。
web上に公開されているpdfファイル
名は、以下の通りである。
2825_6_田中谷遺跡塚山古墳下がり松遺跡角谷遺跡.pdf
そこの図版206に、遺物の写真が載っ
ている。
また、本文に当る、分割された以下の
pdfファイルには、スケッチと発掘者の
解説が載っている。
2825_1_田中谷遺跡塚山古墳下がり松遺跡角谷遺跡.pdf
本文中の268ページに、スケッチがあり、
発掘者は本ブログにとっては幸いな事に、
”万福”と読んでいる。
写真から、
2文字目は將ではなくて福かもしれないほ
ど薄い
と私も納得するが、
1文字目は、万より王の方が近いのではな
いかと、私は疑って恐れている。
当然だが、王将ではなくて王福と読んでし
まうと、日本の将棋とは全く無関係。
だから、前記発掘報告書本文中の、268
ページ付近に、その旨が書いてあるのだが、
この土器が8世紀後半に成立であって、
西暦1015年よりも前であっても、将棋
とは無関係なので、本ブログの主張は崩れ
無いので問題は無い。
だが逆に、王将だとすると、この熟語も
将棋固有なので、
将棋がその前から有る可能性が高く大問題
になるとみられる。つまり、
奈良時代の末に、日本に将棋が有ったのか
どうか
という事である。
今の所、本ブログでは、この問題の8世
紀後半成立の土器の裏の文字は、
≪王福≫である
と仮に読んで、様子を見る事にしたい。
(2021/02/01)
表題の遺跡から、裏面に王将とも読めるよ
うな
8世紀後半成立
の墨書土器が出土しているとの事である。
字が薄くて、判読に不確定性が大きく
将棋の存在を、示しているとは言いがたい。
発掘報告書は、今まで何回も紹介した、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
”全国遺跡報告総覧”の中にあり、表題は
以下の通りである。
田中谷遺跡、塚山古墳、下がり松遺跡、角谷遺跡
島根県教育委員会、2002年3月。
web上に公開されているpdfファイル
名は、以下の通りである。
2825_6_田中谷遺跡塚山古墳下がり松遺跡角谷遺跡.pdf
そこの図版206に、遺物の写真が載っ
ている。
また、本文に当る、分割された以下の
pdfファイルには、スケッチと発掘者の
解説が載っている。
2825_1_田中谷遺跡塚山古墳下がり松遺跡角谷遺跡.pdf
本文中の268ページに、スケッチがあり、
発掘者は本ブログにとっては幸いな事に、
”万福”と読んでいる。
写真から、
2文字目は將ではなくて福かもしれないほ
ど薄い
と私も納得するが、
1文字目は、万より王の方が近いのではな
いかと、私は疑って恐れている。
当然だが、王将ではなくて王福と読んでし
まうと、日本の将棋とは全く無関係。
だから、前記発掘報告書本文中の、268
ページ付近に、その旨が書いてあるのだが、
この土器が8世紀後半に成立であって、
西暦1015年よりも前であっても、将棋
とは無関係なので、本ブログの主張は崩れ
無いので問題は無い。
だが逆に、王将だとすると、この熟語も
将棋固有なので、
将棋がその前から有る可能性が高く大問題
になるとみられる。つまり、
奈良時代の末に、日本に将棋が有ったのか
どうか
という事である。
今の所、本ブログでは、この問題の8世
紀後半成立の土器の裏の文字は、
≪王福≫である
と仮に読んで、様子を見る事にしたい。
(2021/02/01)