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新潟県新発田市砂山中道下遺跡銀将写真に矛盾(長さん)

以前、表題の遺跡の出土駒の写真を本ブログで
紹介した。pdfファイルで、web上に公開
され、ファイル名は、
24225_1_野中土手付遺跡砂山中道下遺跡.pdf
であった。google等で本ブログの画像が
検索され、この駒の像が出てくる。そのときに
写真の銀将の銀の字のヘンが、金に見えないの
で最近不審に思い、天童市将棋資料館発行の、
『天童の将棋駒と全国遺跡出土駒』の写真と比
べてみると、

金のアタマのへの字の位置が天童市将棋資料館
本と、発掘報告書で違う

のに、気がついた。
 成書『天童の将棋駒と全国遺跡出土駒』の
新潟県新発田市砂山中道下遺跡銀将写真の銀の
へんの金のアタマの”へ”は、ヘンの金の字に
なるように付いているのだが。発掘報告書の
写真やスケッチでは本ブログで紹介したように、
中央にシフトして、金には見えないような形に
変化している。その他ツクリの艮も、天童本で
は一部、右の方が見えているが、発掘報告書で
は、剥がれの部分の面積が拡大して、艮が良く
判らないように変化している。

天童本に載せるときに読者を納得させるように、
銀に近くなるよう、画像を少し手直ししている

と考えると、残念だが、良く説明出来る挙動で
ある。
 或いは、報告書をプリントアウトしたときの、
像の乱れか。それにしては、スケッチも、天童
本よりも報告書の写真に似ているように、報告
書自体には書いてあるように、私には見える点
が説明困難だ。仮に、発掘報告書の写真の書体
が正しいとすると、余分な線が左右にあるが、
全体としてみると銀将の銀の書体が角に見える

天童草書体将棋駒に、似ているようにも見える

という事実がある。天童本が、それを避けたと
いうのは、ヒントになるのかもしれないが。事
情が良く判ら無い所である。なお、天童草書体
銀将だと、成立年代が益々新しい駒で、昭和時
代だろうと解釈されるようになる。
 本ブログとしてはgoogle画像の、本ブ
ログがhitする駒像として、発掘報告書のそ
れを示している関係上、経緯はつかめないが、

逆に天童本の像が正しいとしたら若干の責任を
感じる。

 注意喚起する程度しか出来ない事を、この場
を借りて、調査されたいる方や読者の皆様に、
深く御侘び致したい。(2021/02/04)

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