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長野県佐久市深堀遺跡から平安時代成立奔牛土器(長さん)

奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されているpdf
ファイル名で次の通りのweb情報として、
平安時代以前成立の”奔牛”のようにも見
える”墨書のある土器”が記載されている。

深堀H56号奔牛.gif


墨が薄くかつ、内容がかなり曖昧であり、
近世成立の大局将棋とは無関係である

と見られる。
682_1_深堀第235次調査.pdfの、
写真が図版百十のH56号住居址(2)の
遺物ナンバー24の土器として載っている物。
 報告書の名称は、以下の通りである。
長野県佐久市埋蔵文化財調査報告書第98集
深堀遺跡 第2・3・5次調査
長野県土地改良課・佐久市教育委員会、
(2002)。
調査は1998年から2001年頃に行われ
たようである。
 遺跡の成立年代が古墳時代から平安時代の
間とされ、幅広くて、遺物の成立年代は、
はっきりとは特定できない。墨書土器は、
他にも多数出土している状況。
 住居址地帯とされているが、あまり良く、
文献上の役割が、判っていない場所のようで
ある。
 遺物はスケッチにはっきり、墨書の内容
が記載され、本文中で”卸大十牛”(?)と
読まれている旨が、記載されている。墨書土
器と見ると、墨はごく薄いようであり、大十
は、続けて読めば、奔や夲にもなりうるよう
である。個人的には十の部分が、十や三十(卅)
ではなくて、二十(廾)のようにも見える。
大局将棋に奔牛が有るが、土器側面の薄い字
で、しかも前に、卸のへんに見える模様や字
の類が有るのでは、

将棋の存在と、関係があるとは到底思えない

と私は考える。
 この発掘報告書の墨書は多いので、古代か
ら識字層が住んでいた事は、ほぼ間違い無さ
そうである。が、問題の土器については、
字が特に薄いので、

墨書土器かどうかも、はっきりしない

というのが私見である。(2021/02/05)

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