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出雲国府跡より古墳時代の像馬墨書瓦板(長さん)

以前に、発掘調査書の史跡出雲国府跡シリー
ズの3と5で、”口車”と”釘蝶”墨書土器
の出土を話題にした。どちらも平安時代成立
の可能性があるが、将棋駒名では無さそうで
あった。同様に意味が不明であるが、
史跡出雲国府跡シリーズの10に、”像馬”
のように見える、瓦製のプレート破片がある
事を、管理人が見出したので報告する。なお、
昔は横書きで、右から左に書いたとすれば、
像馬ではなくて”馬像”かもしれない。
 今度は、古墳時代の地層らしい。
 発掘報告書は、いつものようにweb上
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
名称は次の通り。
島根県風土記の丘地内遺跡発掘調査報告書
25、史跡出雲国府跡10、
【発行】島根県教育委員会、2019年3月。
pdfファイル名は以下の通り。
49516_1_史跡出雲国府跡10.pdf
 遺物の写真は、図52に、9-11という
名称で示されている。

出雲国府像馬.gif

 スケッチは、本文19ページの図9に11
という名称で載っている。大きな器の破片の
ようでもあり、四角い瓦の片のようでもある。

発掘者は、この遺物に墨書きは無いと考えて
いる

ようである。なお、この発掘でも墨書土器は、
数点出土しているの旨の、記載が有る。また、
本文の20ページに、この遺物の成立年代が、
今度は古くて、古墳時代である旨が記載され
ていると認識する。
 
像馬という将棋駒名が無いので、古墳時代に
将棋が有るとは言えない

と一応は言える。ただし、将棋の駒名を2つ
組み合わせたような文字が、問題の遺物には
絶対に書かれていない、とまでは言えないよ
うに私は思う。以下のように考えてしまうと、
文字の配置がチグハグとならざるを得ないが、
ひょっとすると、出雲国府跡において

”但馬”という地名を、古墳時代に書いた

器の破片なのではなかろうか。写真を見る限
り第1字目が、”日”が乾く前に転写されて、
2重になってしまったような、字のようにも
私には見える。(2021/02/14)

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