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茨城県水戸市沢幡遺跡で”大馬”文字土器(長さん)

以下の発掘報告書に1990年頃の発掘調査
の際、沢幡遺跡で複数の墨書土器が発掘され、
その中に大という白抜け文字のある遺物(番
号99)が有るとの旨の記載が有るので紹介
する。
茨城県教育財団文化財調査報告第79集
一般国道6号東水戸道路改良工事地内
埋蔵文化財調査報告書Ⅰ
中ノ割遺跡、諏訪前遺跡、沢幡遺跡、
北屋敷遺跡、小山遺跡、高原古墳群、
高原遺跡、北屋敷遺跡、
1993年、財団法人茨城県教育財団。
報告書は、web上で公開され、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に以下のpdfファイル名
で登録されている。
18653_1_中ノ割遺跡・小山遺跡・諏訪前遺跡・高原古墳群・沢幡遺跡・高原.pdf
写真の記載箇所はPL36(図版36の意味)
”(沢幡遺跡)第7号住居跡出土遺物”で、
繰り返すが遺物番号99である。

茨城沢幡大馬.gif


大という字は、ベタ墨の中の色抜けであると
され、更に濃く馬のように見える部分が、
本ブログの観察によると土器の底部に見える。

 なお、この遺跡は茨城県水戸市大場町にあ
り、遺物の成立年代は、漠然と9世紀前葉~
10世期前葉の平安時代(報告書170ペー
ジ)とされている。沢幡遺跡からは、この発
掘で、「堤東」や「伍任(五千の意味か?)」
と記載された墨書土器等が、十枚前後出土し
ているという事である。少なくとも、そこの
遺跡の住民は、識字層で有った事が判る。
しかし、この土器については、

文字が確かに書かれているとは、断定できな
い疑いのある遺物である

と私は考える。

①白色色素を使って文字を表現している遺物
がこれ以外に無く”大”の字が、本当に人手
によるものかどうか怪しい。
②馬の字が不明瞭

以上の理由による。
 将棋駒に大馬という駒種類は無いので、
平安時代に

ある種の既知の将棋種の存在を示唆する
積極的証拠となる遺物では元々無い。

 将棋駒名にたまたま有りそうな名称では有
るが。白抜けさせてまで、”大”を表現しな
ければならない、積極的理由が乏しいように
思える。

たまたま、こげ跡が大の字に抜けただけ

の疑いがあるのではないか。また、馬につい
ては、もう少し字がしっかりしているべきだっ
た。これこそ、こげ跡がたまたま馬の字に、
近くなっているようにも見えると私は思う。
 従ってこの遺物は、そもそも墨書土器では
無いのではないか。以上のように、私は疑う。
(2021/02/15)

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