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岡山市津寺遺跡より弥生時代等角行墨書土器2つ(長さん)

以下、奈良文化財研究所発掘報告書データ
ベース全国遺跡報告総覧に登録されている、
古代の土器に、角行ないし角と読める黒い
模様が存在するという話題である。

2字共薄い弥生時代成立の土器と、行の字
が塗りつぶされて、明確で無い古墳時代の
土器の合計2枚から日本将棋が無文献時代
迄成立が遡れる事は無い

と、以下に述べる。
 web上に情報は公開されており、前記
データーベースに、写真が以下のpdf
ファイル名で登録されている。
13109_1_津寺遺跡5.pdf
 発掘は西暦1990年頃のようであり、
報告書の表題は次の通り。
岡山県埋蔵文化財発掘調査報告127
沖寺遺跡5、
日本道路公団中国支社津山工事事務所・
岡山県教育委員会、1998年。
発掘報告書の冒頭の記載から、この遺跡は
弥生時代から、古墳時代にかけての集落跡
のようである。
 弥生時代の土器については、図版54
の一番上に写真があり遺物番号5231番、
とナンバリングされている。もう一つの、
古墳時代の土器については、図版73の中
央一番上の段に写真が載っていて遺物番号
7320番とナンバリングされている。
 何れも成立年代については、本文中にそ
の旨紹介されている。古い遺跡のようであ
る。弥生時代の土器は、以下の通り。

津寺弥生角行..gif

古墳時代の土器は以下の通り。

津寺古墳角行..gif

上図の通り、弥生時代の土器の”角行”は、
文字が薄くてはっきりせず、古墳時代の土
器では、”角”ははっきりしているが”行”
は塗りつぶされている。よって今の所本ブ
ログでは、上の方の遺物については、たま
たま角行に見えるヨゴレが出来ただけ、下
の方の遺物については、角一文字であると
解釈する。なお、両方の遺物共、発掘報告
者による、墨書の指摘は無い。

ただし、別の遺物で、もっと明確に角行と
書いてあれば、古墳時代以前の成立なら、
当然大問題

だったろうと認識する。角行は、将棋が成
立してから、考案された単語と考えるのが
自然だからである。
 以前にも、同じような例を示した事から
判るように、一文字までは、まったく偶然
の産物であっても、そのようなものが現わ
れる程度の量、発掘報告書全般の遺物総数
は膨大であるという解釈に、今の所だが、
論が収まっているような印象を、私は個人
的には受ける。(2021/02/27)

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