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富山県富山市鍛冶町遺跡で10C奔人墨書土器(長さん)

今回は、富山市の鍛治町遺跡で、「奉人寧上」
と、漢字で4文字程度書かれているように見
える、平安時代の墨書土器の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
5784_2_富山県婦中町鍛冶町遺跡発掘調査報告.pdf
 なお、第1pdfが本文pdfだが末尾に
写真図版の一部が在り、第2pdfが、その
続きの写真図版pdfである。
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
富山県婦中町鍛冶町遺跡発発掘調査報告、
2003年3月、婦中町教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、富山県富山市(旧:婦負郡婦中町)長沢。
遺物が出土したのは西暦2000年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、遺跡のE区の遺構SK
第432号で話題とする墨書遺物土器が出土
したが、発掘報告書第38ページ付近の記載
によると、平安時代中期10世紀前半の遺物
に混じって、出土していたという事のように、
読取れる。
 遺物の写真は前記の、発掘報告書第2写真
図版pdfの写真図版第26:”SK432
出土遺物”の左下に在り、遺物番号第545
番との旨、ナンバリングされている。皿型の
土器を底面から撮影した写真のように、私に
は見える。

鍛冶町遺跡奔人寧上.gif

 上記のように1字だとすれば、相当に画数
の多い謎の字である。発掘報告書では一字と
し「鷲」と読んでいる。私見だが、そう見え
ない。本ブログではさしあたり、

奉人(改行)寧上と4文字で右から左へ読み、

 先祖崇拝等の祭祀用土器であると推定する。
 「奉」は擦れて「イ」に見えていると解釈
しているという事である。

普通の古代の「奉人」「奉王」土器の、あら
たまった書き方であり、その為に2文字が、
4文字に増えているという解釈

である。他の内容かもしれないが、「鷲」の
可能性は、「鳥」の部分が見当たらないと私
見し、比較的小さいと見ている。(2022/11/30)

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奈良県御所市観音寺本馬遺跡で弥生中期墨書木製品(長さん)

今回は以前に弥生期の「奉馬」墨書土器を
紹介した奈良県御所市の観音寺本馬遺跡で、
同じ発掘報告書で、「奉王」と書かれたよ
うな黒い模様の在る護岸用杭とされる木片
も、発掘されていたとの旨の紹介である。
こちらも弥生時代のものらしい。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
19640_1_観音寺本馬遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
御所市文化財調査報告書第48集観音寺本馬遺跡、
2015年12月、御所市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、奈良県御所市大字本馬。遺物が出土
したのは、西暦2009年前後の事のよう
である。以上は、以前にも紹介した。
 今回の遺物は、B地区の第4溝内で出土
した護岸杭だとみられているが、共出土し
た遺物土器の形態から、弥生時代中期頃に
成立と取れる旨が、発掘報告書の第175
ページ付近に記載されている。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第74:
”B地区溝4出土遺物(3)”の最上段右
に在り、スケッチ図171番の遺物番号第
26番との旨ナンバリンされている。板状
で卒塔婆のように一見すると見えるが、状
況から発掘報告書では、既に述べたように
護岸用の杭とみられているように読取れる。

観音寺本馬奔王.gif

 上図のように、板の少し上で左に少し寄
り、漢字で「奉王」のようにも見える黒い、
焦げたような模様が見える。
 地域の有力者を崇めて、識字層が書いた
のかもしれないと、個人的には疑う。前漢
王朝からの帰化人筆としか、私には想定で
き無い。土木建築に長けた者だろう。
(2022/11/29)

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神奈川県鎌倉市若宮大路で奔王墨書土器(長さん)

今回は、神奈川県鎌倉市の鎌倉時代の遺跡
でも、祭祀用の奉王土器が当時の地方と変
わらず出土しているとの旨の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
129296_1_鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書38若宮大路周辺遺跡群・
鎌倉城、2022年3月、鎌倉市教育委員会。
 なお遺物は、鎌倉市雪ノ下の若宮大路周
辺遺跡で発掘されたようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は、神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目
161番地43。遺物が出土したのは西暦
2018年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、層序第5面で出土し、
発掘報告書の「第4章考察とまとめ」の第
130ページ付近の記載によると14世紀
前半の、鎌倉時代末程度と、第5面自体の
成立が見られているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
29の下カラム:”第5面構成土”との旨
の最下段右に在って、遺物番号でスケッチ
図第50の第37番との旨ナンバリングさ
れている。土器のカケラの、内面底のよう
に私には見える。

若宮大路奔王.gif

 上図のように、一番上にひょっとすると
「山」と書いてある疑いが有るが、それを
ヨゴレとみなせば、

皿の内面底に、写真の中央やや下に縦に、
奉王と書いてある

ように、私には見える。全国的に古代・中
世を通して出土していると、本ブログで認
識されている「奉王」遺物が中世都市鎌倉
に於いても、同様に出土しているという事
では無いか。すなわちこれは、鎌倉時代末
の神道系祭祀用土器なのではなかろうかと、
個人的には疑っている。(2022/11/28)

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富山県高岡市出来田南遺跡で奈良末大泰山墨書土器(長さん)

今回は、以前に病気祈祷用土器が出土してい
る疑いについて報告した、表題の富山県の
遺跡で、山岳信仰用「奉山」祭祀土器も、
出土しているらしいとの旨の紹介である。
 本品も遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載っている。奈良文化財研究所
の発掘報告書データベースに載っている文献
のpdfファイル名と、発掘報告書表題は、
以前紹介したものと同一である。
 pdfファイル名は以下の通りである。
14570_1_出来田南遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告第66集、
出来田南遺跡発掘調査報告、2015年、
公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所。
 以前に紹介したが、発掘報告書の末尾の
抄録によると遺跡の場所は、富山県高岡市
出来田。遺物が出土したのは西暦2011
年から2013年の間のように読取れる。
 遺物の成立年代は発掘報告書第21ページ
付近の記載によると、遺物は大溝から出土し、
8世紀後半~9世紀の奈良時代頃とみられ、
以前紹介した蛮鬼墨書遺物とほぼ同一である。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
35の下段「大溝包含層」カラムの、下から
3段目左から2つ目に在り遺物番号第331
番との旨、ナンバリングされている。皿型の
土器の底の写真のように思われる。

出来田南331大山泰.gif

 上図のように、写真は全体として反時計回
りに、少し回転しているが、下中央に大きく、
富士山のような形の山の絵の、山頂少し下に、
「山」と書いて在るようにも見え、その上に、
空の部分に、左から右へ横に「大奉」ないし、
「犬奉」と読めるような煤模様が在る。「大」
の字が、端に寄っていて上手ではやや見難い。
1~2字目で大奉であろう。つまり「大奉山」
と読めるとう意味である。この事から、この
遺物は、山岳信仰の祭祀用であるとまず、考
えられる。
 ただし、更によく見ると、山の字の下、山
の絵の裾野に、何か別の模様がある。良くわ
からないが、

人の顔のようにも見える。

 この遺跡では、病気回復の祭祀用の土器が
出土していると私にも認識されるので、その
兼用なのかもしれない。なお明確ではないが、
発掘報告書によると、この遺物には”線刻”
が在るとされる。煤模様が多く、墨書として
は確かに明確性が無いが、その疑いも有るの
ではないかと、私的に結論されるという意味
である。(2022/11/27)

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香川県大内町原間遺跡で飛鳥期山泰墨書土器(長さん)

 今回は、弥生時代成立とされる、以前にも
紹介した表題の遺跡で、一字で「馬」とみら
れる以前に紹介した遺物だけでなく、山奉と
読めるような墨書土器も出土しているとの旨
の話題である。
 ただし、時代は前の例より大きく下り、7
世紀後半の飛鳥時代頃成立の皿型土器とされ
ているようである。
 遺物の写真はweb上に公開されていて、
奈良文化財研究所の全国遺跡報告総覧に登録
公開されている、同じ発掘報告書記載の物品
である。以前に述べたとおり、情報の出所は、
以下の通りである。
 pdfファイル名は以下の通りである。
11139_7_原間遺跡Ⅰ.pdf
発掘報告書の、表題は以下の通りであった。
埋蔵文化財発掘調査報告第39冊原間遺跡Ⅰ、
2002年3月、香川県教育委員会・
財団法人香川県埋蔵文化財調査センター・
日本道路公団香川県土木部。
 遺跡の場所は前記発掘報告書第7写真図版
pdfの末尾抄録によると、香川県大川郡
大内町川東原間。遺物が出土したのは西暦
1999年前後の事。以上も同じである。
 遺物の成立年代は、第Ⅵ区の包含層で出土
したが、発掘報告書第2続本文pdfの第
431ページの記載によると、飛鳥時代の7
世紀後半成立と、推定されているように読取
れる。
 遺物の写真は第7写真図版pdfの、写真
図版第226:”第Ⅵ調査区”の、最上段右
側に在り、遺物番号第3680番との旨、
ナンバリングされている。皿の裏側の写真の
ように私には見える。

原間遺跡山泰.gif

 上図のように、ほぼ中央やや上に漢字で
”奉”のように見える浮き出た模様が在り、
その左上に同じく漢字で、第1字目の”山”
が添えられているようにも見える。なお、山
の右側が、一部第2字目の”奉”に重なって
おり、なかなか見栄えが良いと私見する。
 飛鳥時代の、現地での山岳信仰を表してい
るのであろう。(2022/11/26)

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岡山県倉敷市上東遺跡で泰山墨書土器(長さん)

今回は、岡山県倉敷市の遺跡で、漢字で
奉山と書かれている、古墳時代前期、4世
紀成立とみられる、甕型墨書土器遺物の
紹介である。

古墳時代の「文字」は、確かに明快なもの
が古代に比べて少ない傾向がある事は確か

である。
 遺物の写真がweb上に公開されており
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
12861_1_上東遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岡山県埋蔵文化財報告第158上東遺跡、
2001、岡山県教育委員会。
なお、発掘報告書に今回紹介する上東遺跡
の別の発掘調査結果の記載された報告書を
以前紹介し、横内北窯跡群1号遺跡で奔王
と書かれているのではないかと疑われる、
遺物が出土したと以前報告した。が、横内
北窯跡群1号遺跡と上東遺跡は、直線で
20キロ以上離れており、関連性は無いよ
うである。
 即ち、発掘報告書末尾の抄録によると、
遺跡の場所は岡山県倉敷市上東。字名で、
才の元とみられる場所の微高地の井戸跡で、
今回話題とする墨書土器は出土したようで
ある。遺物が出土したのは、西暦1996
年前後の事。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第182
ページ付近の記載によると遺物は、繰り返
すと才の元微高地の、井戸跡第6号で出土
したが、遺物の形から古墳時代前期、
4世紀成立とみられているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の、写真図版第
39の上段カラム「井戸6号出土遺物の、
第2段目中央に在り、遺物番号第1192
番との旨、ナンバリングされていて、甕型
の土器のようである。

上東遺跡泰山.gif

 上図のように、写真の中央やや右に寄っ
た土器の口の下の部分に、「奉」、その下
に煤が多く不明解だが、右の部分が割れ目
と重なって欠けているように見えるが「山」
のように見える、煤模様が在る。発掘報告
書の遺物観察では、確かに煤のように見え
る黒い部分が多くて、全部が煤と見られて
いるように読み取れる。が絶対では無いも
のの、「奉山」と書かれているようでもあ
ると私見する。
 瀬戸内海の岡山県倉敷市付近で、古墳時
代前期の4世紀頃にも、山岳信仰が存在し
たようにも見えるという意味である。
(2022/11/25)

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香川県高松市天満・宮西遺跡で弥生後期奔木墨書土器台(長さん)

今回は大陸への貢物として香木があり、
それと関連して物品を置くための器台の
形の弥生時代後期の土器に、漢字で「奉木」
と墨書されている。以上の経緯のように見
える遺物が、香川県高松市の遺跡から出土
しているとの旨の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
19751_1_天満・宮西遺跡~旧河道編~上西原遺跡~第2次調査~.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
高松市埋蔵文化財調査報告第69集
天満(てんま)・宮西遺跡~旧河道編~・
上西原遺跡~第2次調査、2004年3月、
高松市教育委員会。
 このうち、以下で話題にする遺物は、
前半の天満(てんま)・宮西遺跡の第1旧
河道で発掘されたとの事のようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、香川県高松市松縄町295番地1。
遺物が出土したのは西暦1989年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、旧河道の第1層で、
問題の遺物は出土したが、層序に関係なく、
大量の共出土遺物から、弥生時代後期~古
墳時代初頭成立であると推定されている旨
が、発掘報告書冒頭第10ページ付近に記
載されているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第7:
”天満・宮西遺跡”の第2段目右側に在っ
て、遺物番号第1695番との旨ナンバリ
ングされている。遺物観察表によると、
器物台と分類されているようである。

天満・宮西遺跡旧河道奔木.gif

 上図のように、写真で遺物のちょうど真
ん中でやや左寄りに、漢字で「才」か「木」
のように見える暗い模様が在り、その上に、
写真では、やや上下に潰れて見え、かつ少
し、反時計回りに回転して漢字で「奉」の
ようにも見える、同じく暗い模様が在る。
後者を第1字として、多分「奉木」との解
釈も可能なように疑われる。はっきりしな
いが、大陸の漢王朝の宮廷への貢物の、

香木でも置く台

なのではないか。弥生時代に高松市付近に
も帰化人の里が、或いは存在したのかもし
れないと私は疑う。(2022/11/24)

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長野県佐久市寺添遺跡で古墳期泰山等墨書土器(長さん)

今回は、長野県の古墳期の遺跡から何回か
過去紹介したパターンの「奉山」墨書土器
が出土したが、「飛牛」ではないかと疑わ
れる墨書土器が、類似の時代成立で私には
検知されるとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
8607_1_三千束遺跡群寺添遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第44集
三千束遺跡群寺添遺跡、西暦1996年3月、
長野県土地開発公社・佐久市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は長野県佐久市大字三塚字寺添73-9。
遺物が発見されたのは西暦1994年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第95ペー
ジ付近に、出土遺物の形から判断した、竪
穴住居跡の成立年代一覧があり、表題の
泰山実際の読みは奉山遺物が、竪穴住居第
30号で発掘されて6世紀前半とされてい
る。その他竪穴住居第28号が5世紀後半
とされ、今回紹介する遺物は何れも、古墳
時代のものと、考えられているようである。
 遺物の写真は、山岳信仰の祭祀用が連想
される泰山・奉山墨書土器が、写真図版第
41の最下段左に在り、遺物番号は竪穴住
居跡第30号(H30)の、スケッチ図第
77の2番との旨、ナンバリングされてい
る、甕のような形の土器である。

寺添泰山.gif

 上図のように、ほぼ中央に縦に大きく、
「奉山」とも読めるような、黒い模様が在
る。現地長野県佐久市の遺跡での古墳時代
の山岳信仰用の祭祀土器ではないかと疑わ
れる。
 ところで、この写真図版第41の上記の
遺物の右上の、竪穴住居第28号(H28)
のスケッチ図第72番の第6番とナンバリ
ングされた、5世紀後半成立の甕型土器の
破片にも、漢字で「飛牛」とも読めるよう
な模様が見える。

寺添飛牛.gif

 上記のように、こちらは反時計回りに、
少し回転しているが、中央やや右に縦に、
漢字で「飛」の字が有るように見えなくも
無い煤模様が在る。その下に「牛」は上の
部分だけ有り下は切れている。「牛」の字
の右側は、右下の縁の部分にあたり、画像
処理をしたら、pdfファイルの像よりも、
かえって薄くなってしまった。
 何れにしても、

第1字目が「飛」である、古墳時代以前の
墨書は珍しい。

 だが、飛の下側がはっきりせず、飼い牛
の水汲み桶用の甕に、漢字で「牛」と書い
ただけの疑いも有るのかもしれないように
思われる。(2022/11/23)

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新潟県新発田市山草荷遺跡で弥生期奔金墨書土器(長さん)

今回は、弥生期の土器に、漢字で奉金と
書かれているように見える、不可解な
墨書土器の話題である。

新発田市指定文化財のこの遺跡の第1号
となった遺物で、煤模様は太平洋戦争前
の近代成立

のようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
22136_1_山草荷遺跡出土の弥生土器.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山草荷遺跡出土の弥生土器、2018年、
新発田市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、新潟県新発田市草荷1127~
1129。以下紹介する遺物が出土した
のは、発掘報告書第10ページ付近の記載
によると、西暦1936年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第25
ページ付近の記載から、弥生時代と推定
されたように読取れる。
 遺物の墨煤模様部分の写真は発掘報告書
の写真図版第7:”川原町口式系土器”の、
第4段目中央に在る、遺物番号第55番と
の旨ナンバリングされた、破片を繋ぎ合わ
せて完全に弥生土器が再現されているうよ
うに私には見える写真の、底の部分で、
壷だが、植木鉢のような穴が開いている部
分の縁である。

山草荷遺跡奔金.gif

 上図のように、写真のコマの、ほぼ中央
やや上に、小さく「奉」その下に穴によっ
て、下部が失われてかなり大きく「金」と、
漢字で書かれているような、黒い模様が見
える。

漢字だとしたら、日本で早期成立の字で
あろう。

 しかしながら発掘報告書を見ると、発掘
者によって識別の為に書かれたとみられる
「山草荷」と読める土器が2点程度、発掘
報告書に載っているようである。
 よって、この字も読みは私には判らない
が。太平洋以前に出土した際に発掘者ない
し研究者が付けた、何らかの印の疑いが有
るように私は考えている。(2022/11/22)

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島根県邑南町菅城遺跡で江戸期山奔墨書陶磁器(長さん)

今回は、現代でも普通に見かける陶磁器
の茶碗に、山奉と書かれたような黒い模様
のある、島根県の山間部、邑南町の遺跡で
出土した、遺物の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
2668_2_菅城遺跡SugeshiroIseki.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
菅城遺跡、1996年3月、羽須美村教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録によると、遺跡の
場所は、島根県邑智郡邑南町(旧羽須美村)
大字戸河内1124番。遺物が出土したの
は、西暦1995年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの第43ページ付近の記載により、
近世の、中国製陶磁器とされているようで
ある。
 遺物の写真は第2写真図版pdfの写真
図版第17の左上段のカラム:”耕盤最下
部38-5他備前系(染付)”の下かに2
段目左に在り、遺物番号スケッチ図第36
の11番との旨、ナンバリングされている
遺物の破片のうちの、右端の破片に模様が
有る。

菅城遺跡山奔.gif

 上図のように、無理に墨を刷り込んだよ
うな模様で、上下、やや第2字目が右にズ
レて、漢字の「山奉」のようにも見える、
黒ないし灰色の模様が有る。
 現地は以前に本ブログでも紹介したこと
があるが、広島県との県境に近い山間部で、
低山に囲まれた地形の場所のようであり、
江戸時代に山岳信仰が有っても、おかしく
無いように私見する。昔ながらに器に墨書
した、祭祀用の遺物ではないかと私は疑う。
(2022/11/21)

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