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島根県邑南町清源那遺跡で奈良・明治期奔王墨書土器(長さん)

 今回は、島根県邑南町の特定の遺跡発掘
で「奉山王」または「奉王山」と書かれて
いるように見える、8世紀と19世紀とい
うように、極端に成立年代の異なる墨書ま
たは文字が書かれた食器が出土したが、
王と山の字が合体して1字になったような、
書体になっているという共通点のある遺物
出土の話題である。極端に時代の違う物品
であるが、文字を書いた意図に共通性が有
ると疑われる、比較的珍しい例である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
2599_2_清源那遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
石見町支化財調査報告書第16集清源那遺跡、
1998年3月、石見町教育委員会。
 発掘報告書冒頭「調査の概要及び遺構・
遺物」により遺跡の場所は、島根県邑智都
邑南町(旧:石見町)井原地区と中野地区。
遺物が出土したのは西暦1995年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書第20ペー
ジの記載により、スケッチ図37の第29
番遺物は杯身で、8世紀、奈良時代成立と
見られているように読み取れる。また、
スケッチ図第46の第128番遺物は、
19世紀の瀬戸物の皿と、発掘報告書遺物
観察表第57ページ付近に記載されている
ようである。
 遺物の写真は、奈良時代の第29番遺物
が発掘報告書写真図版第30の上カラム:
”B区第1番竪穴建物跡出土遺物”の旨の、
下段の左に有る。また、江戸末~明治期の
第128番遺物が同じく、発掘報告書写真
図版第39の第2段左にある。

清源那泰山奈良.gif

 上記は第29番遺物で割れた食器のよう
に私には見え、写真の左縁に漢字で「奉」、
の右に漢字で「山」と「王」がつながった
不明文字があるように、私には見える。「
奉山王」のようでもある。

清源那泰山近世.gif

 上記は第128番遺物で、皿の底の中央
に、漢字で「奉山」といっけん見えるが、
奉のキ部分がキでは無くて「主」のように
私には見え、「奉王山」と縦につながって
いるような、私にはよく読めない字になっ
ている。
 王とは天皇の事であろうが。
 奈良時代から明治時代の間中、この遺跡
は弘法大師等が開いた神道の宗教施設(山
裾の神社)に位置し、歴代天皇を、山の
神様となぞらえて、祭祀することが行われ
ていたかもしれないと、私には疑われる。
(2023/06/01)

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