島根県出雲市受馬遺跡で戦国期王奔墨書土器(長さん)
以前表題の遺跡からやや離れ、関連性は
無いと見られるが島根県出雲市壱丁田遺跡
で、戦国期成立と見られる奉山墨書土器を
紹介した。今回は、それとペアとなるよう
なイメージの戦国期の「奉王」型墨書土器
の紹介である。山をその時代の天皇に見立
てる、山間部の神社等での山岳信仰祭祀用
遺物であるとの推定を、一応補強するもの
と私見する。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
2560_2_四ツ廻II遺跡・林廻り遺跡・受馬遺跡.pdf
遺物はこのうち最後の受馬遺跡で出土し
たようである。
発掘報告書の名称は以下の通りである。
四ツ廻Ⅱ遺跡・林廻り遺跡・受馬遺跡、
1996年3月、建設省松江国道工事事務所・
島根県教育委員会。
発掘報告書第5章受馬遺跡の冒頭「調査
の経過と概要」によると遺跡の場所は、
島根県八束郡東出雲町揖屋字受馬。遺物が
出土したのは、西暦1993年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、褐色土層で出土した
が、発掘報告書第99ページの記載より、
14世紀から16世紀末の中世後期、戦国
時代程度に成立した物品と考えられている
ように、私には読み取れる。
遺物の写真は発掘報告書写真図版(PL)
第51の第4段目右に在り、受馬遺跡編の
スケッチ図第76の第15番との旨、ナン
バリングされているようである。杯型土器
のように、私には見える。
上図のように、写真の中央やや上に漢字
で「奉」、その左に「王」のようにも「土」
のようにも見える、はっきりしないがやや
暗い模様が、有るようにも見える。
戦国時代にも東出雲市の北に開けた山沿
いの扇状地で、天皇を王として神道の祭祀
が行われた事を、示していると私は疑う。
(2023/06/02)
無いと見られるが島根県出雲市壱丁田遺跡
で、戦国期成立と見られる奉山墨書土器を
紹介した。今回は、それとペアとなるよう
なイメージの戦国期の「奉王」型墨書土器
の紹介である。山をその時代の天皇に見立
てる、山間部の神社等での山岳信仰祭祀用
遺物であるとの推定を、一応補強するもの
と私見する。
遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
2560_2_四ツ廻II遺跡・林廻り遺跡・受馬遺跡.pdf
遺物はこのうち最後の受馬遺跡で出土し
たようである。
発掘報告書の名称は以下の通りである。
四ツ廻Ⅱ遺跡・林廻り遺跡・受馬遺跡、
1996年3月、建設省松江国道工事事務所・
島根県教育委員会。
発掘報告書第5章受馬遺跡の冒頭「調査
の経過と概要」によると遺跡の場所は、
島根県八束郡東出雲町揖屋字受馬。遺物が
出土したのは、西暦1993年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、褐色土層で出土した
が、発掘報告書第99ページの記載より、
14世紀から16世紀末の中世後期、戦国
時代程度に成立した物品と考えられている
ように、私には読み取れる。
遺物の写真は発掘報告書写真図版(PL)
第51の第4段目右に在り、受馬遺跡編の
スケッチ図第76の第15番との旨、ナン
バリングされているようである。杯型土器
のように、私には見える。
上図のように、写真の中央やや上に漢字
で「奉」、その左に「王」のようにも「土」
のようにも見える、はっきりしないがやや
暗い模様が、有るようにも見える。
戦国時代にも東出雲市の北に開けた山沿
いの扇状地で、天皇を王として神道の祭祀
が行われた事を、示していると私は疑う。
(2023/06/02)