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島根県出雲市大井谷第Ⅱ遺跡で15C山泰墨書土器(長さん)

 今回は以前に同じ島根県出雲市の壱丁田
遺跡で紹介した中世の「奉山」墨書土器と
類似の墨書が疑われる、杯のような形の土
器遺物が、同じ出雲市で前世紀末に出土し
ていたとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
2331_3_大井谷I遺跡大井谷II遺跡.pdf
 このファイルは全国遺跡報告総覧に登録
したときに乱丁したようであり、pdfで
2→4→3→1の順になり、第4pdfの
途中から、写真図版のようである。
発掘報告書の名称は以下の通りである。
大井谷Ⅰ遺跡・大井谷Ⅱ遺跡、2001年、
国土交通省中国地方整備局出雲工事事務所・
出雲市教育委員会。
 このうち遺物は、大井谷Ⅱ遺跡で出土し
たようである。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
島根県出雲市上塩冶町1319番地。遺物
が出土したのは、西暦1998年前後の事
のようである。第Ⅰ遺跡は塩冶町までいっ
しょで、互いに関連しているようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第122
ページ「小結」により遺跡自体が15世紀
の室町時代のものとみられているように、
読み取れる。今回紹介する大井谷第Ⅱ遺跡
の大溝03で出土した遺物も、発掘報告書
の第47ページの記載からもその頃のもの
と解釈されているように私には理解される。
 遺物の写真は発掘報告書第3写真図版の
中段pdfの写真図版第23の最下段左に
あり、そのうち上から覗いた底を見ている、
上の写真コマに以下の墨書が有るように私
には見える。

大井谷山泰.gif

 上図のように、この例では杯状土器の
側面に横に寝て、写真の左端に「楚山奉」
のように私には見える、暗い模様が有るよ
うである。「楚」は、中国大陸の南部を指
すのか、私には不明だが。神仏習合の宗教
施設が遺跡発掘地点に有り、弘法大師が開
いた寺院等との伝説を元に、付近の山の神
社の行事で現代も知られる崇拝等が行われ、
出土品は、その祭祀用に使用された土器の
疑いが有るのではないかと私見する。
(2023/06/03)

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