埼玉県蓮田市ささら遺跡で4C山鬼墨書土器(長さん)
今回は、埼玉県さいたま市南区大谷場遺跡の山竜土器
の墨書に似た、「山何がし」に見える土器が、前世紀
の末に同じ埼玉県の蓮田市の蓮田駅近郊で出土してい
る。が、周辺にある丘が、小ぶりなようであり、龍神
や仏教等の宗教祭祀用では無く、単なる食料貯蔵用か
もしれない、漢字で「山魚」と書いてあるような容器
が、出土しているという旨の紹介である。
なお遺物は成書の「埼玉県蓮田市史」に載っている。
書誌は次の通り。
蓮田市史/考古資料編Ⅱ・古代&中世資料編、西暦
1999年3月、埼玉県蓮田市教育委員会。
この市史の第48ページ付近の記載により、遺跡の
場所は、埼玉県蓮田市東町3丁目。遺物が出土したの
は、西暦1995年より、少し前の事のようである。
遺物の成立年代は、市史で世紀毎に記載が分断され
ていて、第4地点の発掘で遺物は、「4世紀の項」で
紹介されている。ささら遺跡自体は、旧石器時代から、
現代まで、ほぼ全ての時代で人間が居住していると
考えられるような、複合遺跡らしい。現在のJR
蓮田駅の東口数百メートルの地点である。
遺物の写真は、市史の第51ページ付近の「第6号
住居跡出土土器」の第2段目右側に在る。壷型の古墳
時代頃の、口ツバの大きい土器のように私には見える。
上図の四角の部分に土器に対して斜めに、山鬼のよ
うな、不明解な漢字にも見える模様がある。
画像処理して詳しく見たところ、字では無くてヨゴ
レと見ている暗い模様との関連性から考えて、第2字
目の「鬼」の下部と当初見ていた部分はは、単なる
ヨゴレであり、
「山魚」と読むのが公平
と考えられるようになった。4世紀に普通に公園の名
になって現在残っている「堂山」付近の、現在名で言
う元荒川で取れた「山魚」を保存した容器に、帰化人
所有であった為に、漢字で用途が書かれているのかも
しれないと私見する。「山竜」型の祭祀用ではなく、
普通の食料保存用か、または祭祀にしても魚をお供え
ものとして、供える為の容器だろう。あるいは、古墳
時代の王に供する物品なのか。
字に見える模様自体も、充分に明瞭とまでは行かな
く、偶然模様である可能性も、否定出来無い物品の
ようであり、「山竜土器」の仲間かと思った私は、
画像処理していささか、がっかりという結果であった。
(2024/05/19)
の墨書に似た、「山何がし」に見える土器が、前世紀
の末に同じ埼玉県の蓮田市の蓮田駅近郊で出土してい
る。が、周辺にある丘が、小ぶりなようであり、龍神
や仏教等の宗教祭祀用では無く、単なる食料貯蔵用か
もしれない、漢字で「山魚」と書いてあるような容器
が、出土しているという旨の紹介である。
なお遺物は成書の「埼玉県蓮田市史」に載っている。
書誌は次の通り。
蓮田市史/考古資料編Ⅱ・古代&中世資料編、西暦
1999年3月、埼玉県蓮田市教育委員会。
この市史の第48ページ付近の記載により、遺跡の
場所は、埼玉県蓮田市東町3丁目。遺物が出土したの
は、西暦1995年より、少し前の事のようである。
遺物の成立年代は、市史で世紀毎に記載が分断され
ていて、第4地点の発掘で遺物は、「4世紀の項」で
紹介されている。ささら遺跡自体は、旧石器時代から、
現代まで、ほぼ全ての時代で人間が居住していると
考えられるような、複合遺跡らしい。現在のJR
蓮田駅の東口数百メートルの地点である。
遺物の写真は、市史の第51ページ付近の「第6号
住居跡出土土器」の第2段目右側に在る。壷型の古墳
時代頃の、口ツバの大きい土器のように私には見える。
上図の四角の部分に土器に対して斜めに、山鬼のよ
うな、不明解な漢字にも見える模様がある。
画像処理して詳しく見たところ、字では無くてヨゴ
レと見ている暗い模様との関連性から考えて、第2字
目の「鬼」の下部と当初見ていた部分はは、単なる
ヨゴレであり、
「山魚」と読むのが公平
と考えられるようになった。4世紀に普通に公園の名
になって現在残っている「堂山」付近の、現在名で言
う元荒川で取れた「山魚」を保存した容器に、帰化人
所有であった為に、漢字で用途が書かれているのかも
しれないと私見する。「山竜」型の祭祀用ではなく、
普通の食料保存用か、または祭祀にしても魚をお供え
ものとして、供える為の容器だろう。あるいは、古墳
時代の王に供する物品なのか。
字に見える模様自体も、充分に明瞭とまでは行かな
く、偶然模様である可能性も、否定出来無い物品の
ようであり、「山竜土器」の仲間かと思った私は、
画像処理していささか、がっかりという結果であった。
(2024/05/19)