静岡県富士市伝法古墳群で6C泰山墨書土器(長さん)
今回は、静岡県富士市の伝法古墳群の中原3号墳
の副葬品壷土器に漢字で「倭泰山山」等と私的に
読む、模様が有るとの旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
44826_1_伝法中原古墳群.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
富士市埋蔵文化財調査報書第59集/伝法中原古墳群、
2016年3月、静岡県富士市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
静岡県富士市伝法。遺物が出土したのは、
西暦1992年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、古墳群が古墳時代後期の、
6世紀後半から7世紀に掛けてであると見られて
おり、その副葬品の一つのようで、その頃の物の
ように、読み取れるようである。
発掘された日本列島/2020の第13ページ
により「中原第4号古墳の、生活用鉄器遺物出土
が有名だ」という事だが、同3号墳からは、武具
だけが多く、出土しているように、私には見える。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第8(PL
8):”中原第3号墳遺物”の左下に有り、埋葬
土器の第2番の意とみられる、ナンバリングが
有る。口の小さな、大きな壷土器のように私には
見える。

上図のように、黄色の四角の中に漢字で、
「倭泰山山」のように見える模様が有る。
富士山が、日本を代表する山であり、それを
埋葬富裕層が、生前奉じたようにも私には見える。
4号墳とは異なり、関連はするのだろうが、渡来
人を、古墳に葬ったのではないかと、文面から私
には見えるが、どうであろうか。(2024/07/02)
の副葬品壷土器に漢字で「倭泰山山」等と私的に
読む、模様が有るとの旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
44826_1_伝法中原古墳群.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
富士市埋蔵文化財調査報書第59集/伝法中原古墳群、
2016年3月、静岡県富士市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
静岡県富士市伝法。遺物が出土したのは、
西暦1992年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、古墳群が古墳時代後期の、
6世紀後半から7世紀に掛けてであると見られて
おり、その副葬品の一つのようで、その頃の物の
ように、読み取れるようである。
発掘された日本列島/2020の第13ページ
により「中原第4号古墳の、生活用鉄器遺物出土
が有名だ」という事だが、同3号墳からは、武具
だけが多く、出土しているように、私には見える。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第8(PL
8):”中原第3号墳遺物”の左下に有り、埋葬
土器の第2番の意とみられる、ナンバリングが
有る。口の小さな、大きな壷土器のように私には
見える。

上図のように、黄色の四角の中に漢字で、
「倭泰山山」のように見える模様が有る。
富士山が、日本を代表する山であり、それを
埋葬富裕層が、生前奉じたようにも私には見える。
4号墳とは異なり、関連はするのだろうが、渡来
人を、古墳に葬ったのではないかと、文面から私
には見えるが、どうであろうか。(2024/07/02)