埼玉県越谷市海道西遺跡で平安山竜墨書土器(長さん)
今回は、低地の埼玉県越谷市の表題遺跡で、
平安中期、9世紀後半から10世紀前半に
成立の椀型土器に漢字で「山竜」と読める、
煤模様が有るとの旨の紹介である。
当時小さな丘が有る川岸で、龍神信仰が
古代に行われたのかもしれないと疑われる。
今回の情報は、紙媒体の発掘報告書に
載っている。書名は、以下の通りである。
埼玉県越谷市埋蔵文化財発掘調査報告書第3集/
海道西遺跡発掘調査報告書Ⅰ、2022、
埼玉県越谷市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
埼玉県越谷市大林字海道西9-1。遺物が
出土したのは、西暦2022年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、遺物は竪穴住居跡第
2号で出土したが、発掘報告書の第67ペー
ジ付近の「総括Ⅳ」の中段付近により、繰
り返すと9世紀後半から、10世紀前半に
掛けての平安時代中期の住居跡であり、遺
物も、その頃のものと見られているように、
私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
11の最上段左に在り、遺物番号第53番
との旨、ナンバリングされている。
椀型土器の破片のように私には見える。

上図のように写真の右の黄色い枠で囲ん
だ部分に縦に、漢字で「山竜」のようにも
見える、煤模様があると私見する。ただし、
第2字目は、やや小さく、その為、充分に
明快な模様とは、言えない。
当時の河川に近く、平安時代頃に現地で
龍神信仰が盛んであり、かつ小さな砂丘が
在り、それを山に見立てて、竜が山棲むと
したのかもしれないと、私は疑う。現在も
低地で、その頃にも恐らく川が、流れてい
た場所なのだろう。(2024/07/05)
平安中期、9世紀後半から10世紀前半に
成立の椀型土器に漢字で「山竜」と読める、
煤模様が有るとの旨の紹介である。
当時小さな丘が有る川岸で、龍神信仰が
古代に行われたのかもしれないと疑われる。
今回の情報は、紙媒体の発掘報告書に
載っている。書名は、以下の通りである。
埼玉県越谷市埋蔵文化財発掘調査報告書第3集/
海道西遺跡発掘調査報告書Ⅰ、2022、
埼玉県越谷市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
埼玉県越谷市大林字海道西9-1。遺物が
出土したのは、西暦2022年前後の事の
ようである。
遺物の成立年代は、遺物は竪穴住居跡第
2号で出土したが、発掘報告書の第67ペー
ジ付近の「総括Ⅳ」の中段付近により、繰
り返すと9世紀後半から、10世紀前半に
掛けての平安時代中期の住居跡であり、遺
物も、その頃のものと見られているように、
私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
11の最上段左に在り、遺物番号第53番
との旨、ナンバリングされている。
椀型土器の破片のように私には見える。

上図のように写真の右の黄色い枠で囲ん
だ部分に縦に、漢字で「山竜」のようにも
見える、煤模様があると私見する。ただし、
第2字目は、やや小さく、その為、充分に
明快な模様とは、言えない。
当時の河川に近く、平安時代頃に現地で
龍神信仰が盛んであり、かつ小さな砂丘が
在り、それを山に見立てて、竜が山棲むと
したのかもしれないと、私は疑う。現在も
低地で、その頃にも恐らく川が、流れてい
た場所なのだろう。(2024/07/05)