福岡県福岡市比恵遺跡で古墳後期泰山墨書土器(長さん)
今回は直近に龍王、王奉墨書土器が出土して
いると、本ブログで私見として紹介した表題
遺跡で、古墳時代後期の6世紀後半成立と
みられる、いわゆる「奉山」墨書土器遺物も
別の発掘調査の際に、出土しているとの旨の
紹介である。山岳信仰が、継続的に存在した
のであろう。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録公開されている。
pdfファィル名は、以下の通りである。
132511_1_比恵.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1489集
比恵91、2023、福岡市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により、遺跡の場所は
福岡県福岡市博多区博多駅南。遺物が出土し
たのは西暦2020年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は発掘報告書の
第13ページによると、発掘調査の際見つかっ
た溝で話題とする遺物は発見されたが、溝
自体が6世紀後半、古墳時代後期のもので、
遺物もその頃ないし、少し前の物品と見られ
ているように、私には読取れる。6世紀程度
であろう。
遺物の写真は発掘報告書の、写真図版第7:
”第Ⅰ区(出土遺物)”の第3段目左端に在
り、遺物番号第37番との旨、ナンバリング
されている、椀型の土器のように、私には見
えたが、発掘報告書では杯型土器の、破片と
されているようである。

上図のように、写真で右側の割れ欠けの
上の口に近い下部分に、漢字で「奉」のよう
に見える煤模様が有り、その左下に、小さく
「山」と、字が添えられているように、私に
は見える。
古墳時代後期の6世紀に、博多のこの遺跡
で、山岳信仰が、継続的に存在した事を、恐
らく示しているのであろうと、私は考える。
(2024/07/08)
いると、本ブログで私見として紹介した表題
遺跡で、古墳時代後期の6世紀後半成立と
みられる、いわゆる「奉山」墨書土器遺物も
別の発掘調査の際に、出土しているとの旨の
紹介である。山岳信仰が、継続的に存在した
のであろう。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録公開されている。
pdfファィル名は、以下の通りである。
132511_1_比恵.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1489集
比恵91、2023、福岡市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により、遺跡の場所は
福岡県福岡市博多区博多駅南。遺物が出土し
たのは西暦2020年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は発掘報告書の
第13ページによると、発掘調査の際見つかっ
た溝で話題とする遺物は発見されたが、溝
自体が6世紀後半、古墳時代後期のもので、
遺物もその頃ないし、少し前の物品と見られ
ているように、私には読取れる。6世紀程度
であろう。
遺物の写真は発掘報告書の、写真図版第7:
”第Ⅰ区(出土遺物)”の第3段目左端に在
り、遺物番号第37番との旨、ナンバリング
されている、椀型の土器のように、私には見
えたが、発掘報告書では杯型土器の、破片と
されているようである。

上図のように、写真で右側の割れ欠けの
上の口に近い下部分に、漢字で「奉」のよう
に見える煤模様が有り、その左下に、小さく
「山」と、字が添えられているように、私に
は見える。
古墳時代後期の6世紀に、博多のこの遺跡
で、山岳信仰が、継続的に存在した事を、恐
らく示しているのであろうと、私は考える。
(2024/07/08)