福岡県福岡市比恵遺跡で弥生末硯に王奔(長さん)
今回は、いわゆる「比恵の弥生の硯」の写真の
画像処理により、「王奉」という漢字二文字の
模様が浮かび上がるという、私的発見の紹介で
ある。
遺物の写真がweb上にも公開されていて、
発掘報告書にも載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
86698_1_比恵.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1350集/
比恵遺跡82、2018、福岡市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
福岡県福岡市博多区4丁目120-2。
遺物が出土したのは、西暦2016年頃の事
のようである。
遺物の成立年代は、今回の遺物は著名で、
成書「発掘された日本列島」/2018年、
文化庁により、「弥生の硯」のひとつで3世紀
とされ、弥生時代末であると私には認識される。
遺物の写真は、前記発掘報告書写真図版
(PL.)第6にあり、「石硯」と付記されて
いる。太い直線状の、写真で白く見える傷の
ある方の面で、元々の端部分であり、割れて
ない方の縁に、画像処理を施すと、以下の
ように、漢字模様「王奉」が浮き出る。

つまり上図の拡大のように、漢字で縦に、
擦れて「奉」が、いわゆる「夫+横棒」に
なってはいるが、「王奉」のようにも見える、
「刻書」があるように見えてくる。
この硯を使って書く字が、漢王朝に送る、
何かの物品を入れる容器に、専ら書かれ、
使用されている事を示唆していて、私的に
は、以前に出土例を示したが、鉄製武具の
甕型容器等に「王奉」と書くケースが、
弥生時代には、結構有ったのではないかと、
関連性を疑っている。(2024/07/09)
画像処理により、「王奉」という漢字二文字の
模様が浮かび上がるという、私的発見の紹介で
ある。
遺物の写真がweb上にも公開されていて、
発掘報告書にも載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
86698_1_比恵.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1350集/
比恵遺跡82、2018、福岡市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
福岡県福岡市博多区4丁目120-2。
遺物が出土したのは、西暦2016年頃の事
のようである。
遺物の成立年代は、今回の遺物は著名で、
成書「発掘された日本列島」/2018年、
文化庁により、「弥生の硯」のひとつで3世紀
とされ、弥生時代末であると私には認識される。
遺物の写真は、前記発掘報告書写真図版
(PL.)第6にあり、「石硯」と付記されて
いる。太い直線状の、写真で白く見える傷の
ある方の面で、元々の端部分であり、割れて
ない方の縁に、画像処理を施すと、以下の
ように、漢字模様「王奉」が浮き出る。

つまり上図の拡大のように、漢字で縦に、
擦れて「奉」が、いわゆる「夫+横棒」に
なってはいるが、「王奉」のようにも見える、
「刻書」があるように見えてくる。
この硯を使って書く字が、漢王朝に送る、
何かの物品を入れる容器に、専ら書かれ、
使用されている事を示唆していて、私的に
は、以前に出土例を示したが、鉄製武具の
甕型容器等に「王奉」と書くケースが、
弥生時代には、結構有ったのではないかと、
関連性を疑っている。(2024/07/09)