備讃瀬戸海底遺跡で奔寅墨書土器(長さん)
今回は出土時期が、はっきりしないがこれ
から紹介する成書に、瀬戸内海の岡山県/
香川県の海域で、弥生時代中期成立とみら
れる広口壷型土器に、漢字で「奉山寅」と
読めるような、褐色の模様があるとの旨の
紹介である。
祖先を奉じた土器を12方向に置く祭祀
用の物品12個の1個が、たまたま海底か
ら引き上げられた物であり、北東/寅方向
に埋葬ないし、設置する為の、帰化人家系
の宮崎県在住の弥生時代人作の、弁柄使用
文字書きではなかろうかと私には疑われる。
さて今回の遺物は、以下の成書に載って
いる。
発掘された日本列島/2017年、文化庁。
成書第57ページ付近に情報が在り、そ
れにより遺跡の場所は、ヒウチ灘付近の、
瀬戸大橋付近の海底。遺物が出土したのは、
恐らく2010年代であろう。
遺物は、宮崎県日向南部産で、弥生中期、
恐らく紀元前1~2世紀の物品であると、
考えられているように、私には読取れる。
遺物の写真は、そのページに2個並んだ
土器の右側で、繰り返すと広口壷とされて
いる方である。

上図のように、中央に縦に並んだ弁柄色
の2つの模様が「奉寅」のように見え、良
く見ると「第1字目」の奉に見える模様の
右下に、漢字で「山」のように見える模様
が「付記」されているようにも見える。
九州宮崎県で、渡来人が弥生時代に祖先
を奉じる法事を行ったが、十二支の方位が
呪いの材料になって、広口壷が元々は12
個用意されていたのかもしれない。本品は、
寅方向に祭る物品であり、その為「奉山/
寅」と銘記されているようにも私には見え
る。宮崎県の日向南部では、北東方向に、
半島の山並みがあり、その為の「山」の字
の付記かもしれない。「奉辰」には「海」
でも付記したのか? 何れにしても九州の
山で鉱脈を捜索し、砂鉄や大陸から運んだ
粗鉄から鉄製品を製造するような製鉄遺跡
で弥生期に作成された、本来は土器だった
のかもしれないと、私は思っている。
(2024/07/10)
から紹介する成書に、瀬戸内海の岡山県/
香川県の海域で、弥生時代中期成立とみら
れる広口壷型土器に、漢字で「奉山寅」と
読めるような、褐色の模様があるとの旨の
紹介である。
祖先を奉じた土器を12方向に置く祭祀
用の物品12個の1個が、たまたま海底か
ら引き上げられた物であり、北東/寅方向
に埋葬ないし、設置する為の、帰化人家系
の宮崎県在住の弥生時代人作の、弁柄使用
文字書きではなかろうかと私には疑われる。
さて今回の遺物は、以下の成書に載って
いる。
発掘された日本列島/2017年、文化庁。
成書第57ページ付近に情報が在り、そ
れにより遺跡の場所は、ヒウチ灘付近の、
瀬戸大橋付近の海底。遺物が出土したのは、
恐らく2010年代であろう。
遺物は、宮崎県日向南部産で、弥生中期、
恐らく紀元前1~2世紀の物品であると、
考えられているように、私には読取れる。
遺物の写真は、そのページに2個並んだ
土器の右側で、繰り返すと広口壷とされて
いる方である。

上図のように、中央に縦に並んだ弁柄色
の2つの模様が「奉寅」のように見え、良
く見ると「第1字目」の奉に見える模様の
右下に、漢字で「山」のように見える模様
が「付記」されているようにも見える。
九州宮崎県で、渡来人が弥生時代に祖先
を奉じる法事を行ったが、十二支の方位が
呪いの材料になって、広口壷が元々は12
個用意されていたのかもしれない。本品は、
寅方向に祭る物品であり、その為「奉山/
寅」と銘記されているようにも私には見え
る。宮崎県の日向南部では、北東方向に、
半島の山並みがあり、その為の「山」の字
の付記かもしれない。「奉辰」には「海」
でも付記したのか? 何れにしても九州の
山で鉱脈を捜索し、砂鉄や大陸から運んだ
粗鉄から鉄製品を製造するような製鉄遺跡
で弥生期に作成された、本来は土器だった
のかもしれないと、私は思っている。
(2024/07/10)