SSブログ

大阪府東大阪/八尾市山賀遺跡で1C王子墨書土器(長さん)

今回は過去、弥生時代から古墳時代に掛けての
土器等に「泰山」、「奉山」と読める墨書が有る
との旨を複数紹介等した表題の大阪府の弥生時代
の集落跡で、弥生時代中~後期に掛けての、波線
文様のある弥生土器に、漢字で摩訶大大/大将棋
の酔象の成りである、「王子」と書いてあるよう
に見える、濃い模様が有るとの旨の紹介である。

漢字で書いた簡素な2文字熟語の墨書遺物は、
弥生時代の物品にしばしば見られるとの心象を、
特に強める遺物

である。
 遺物の写真は、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の、発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録、公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
139938_3_山賀その5・6.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
山賀その(5・6)、1986年3月、大阪府
教育委員会・財団法人大阪文化財センター。
 発掘報告書冒頭第4ページにより遺跡の場所は、
大阪府東大阪市若江南町・若江西新町・八尾市
新家町。遺物が出土したのは、第1ページ、
調査に至る経過により、西暦1983年から、
1985年ないし、その前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1pdf、
第113ページ付近の記載により、弥生時代の
遺物であり、より詳しくは弥生時代中期終わり、
西洋紀元1世紀前後の成立と見られるように、私
には読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第3pdfの写真
図版第48:”弥生時代後期土器・土製品(1)”
の、第2段目左に在り、遺物番号第172番との
旨、ナンバリングされている。壷型土器の口の
部分の破片のようであり、明確な波線文様が有る。

山賀王子.gif

 上図のように、ほぼ写真の中央に、縦に漢字で
「王子」のように私には見える、濃い模様が有る。
 棺桶かもしれず、有力者の子息の骨を納めた
ものかもしれない。字が特に明瞭であり「王子」
程度の漢字は、大阪の山賀遺跡レベルの大規模
弥生集落では、普通に書かれていたとの印象を、
強く感じさせるものであると私見される。
(2024/07/11)

nice!(13)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー