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埼玉県越谷市海道西遺跡で平安泰山墨書土器(長さん)

今回は、以前紹介した埼玉県越谷市の表題
遺跡で、同じく平安中期、9世紀後半から
10世紀前半に成立の杯型土器に、漢字で
「奉山」と読める、煤模様が有るとの旨の
紹介である。
 当時龍神信仰も有った川岸の小さな丘を、
古代に、山として崇拝したのかもしれない
と疑われる。
 さて前回同様情報は紙媒体の発掘報告書
に載っている。書名は、以下の通りである。
埼玉県越谷市埋蔵文化財発掘調査報告書第3集/
海道西遺跡発掘調査報告書Ⅰ、2022、
埼玉県越谷市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
埼玉県越谷市大林字海道西9-1。遺物が
出土したのは、西暦2022年前後の事の
ようである。
 遺物の成立年代は、遺物は竪穴住居跡第
1号で出土したが、発掘報告書の第8ペー
ジ付近の記載により、住居跡1号・2号の
成立年代は、ほぼいっしょで9世紀後半か
ら、10世紀前半に掛けての平安時代中期
の住居跡であり、遺物も、その頃のものと
見られているように、私には読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
11の第2段目の左から2番目に在り遺物
番号第5番との旨ナンバリングされている。
 杯型土器の破片のように私には見える。

越谷泰山.gif

 上図のように写真の右下の黄色い枠で囲
んだ部分に、漢字で反時計回りに「奉」、
その左下に、今度は正体して「山」のよう
にも見える、煤模様があると私見する。

祭祀の雰囲気を出すために、土器に文字を
曲げて書く事が有るとみられる例であり、
以降見落とさ無いよう、注意すべき

との教訓を得た。
 当時の河川に近く、平安時代頃に現地で
龍神も祭る小さな砂丘を山と見立てており、
山岳信仰も有ったのかもしれないと、私は
疑う。あるいは平安時代の9世紀後半から
10世紀前半にも、「荒ぶる川」の洪水の
沈静化を願っていたのかもしれず、道教の
泰山と龍神のパターンで、山と龍がセット
で拝まれる事も有った事を、恐らく示して
いるのではあるまいかと、個人的に考えて
いる。(2024/07/13)

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