岩手県平泉志羅山両面飛龍は浄土教念仏と共出土(長さん)
以前に述べたが本ブログでは、15升目130枚
制大将棋の歩兵下袖配列同様、13世紀後鳥羽
上皇期の仮説13升92枚制歩兵4段型大将棋で
も、袖は同様な角行、竪行、横行配列に、なって
いると仮定している。元々の中央列横行は玄怪録
岑順の、「上将」の動きの「横暴→横行」が起源
であり、
竪行と角行は、親鸞の説法起源で発生し、それに
よる横行駒の袖移動
としている。つまり横行は、行駒の種類が増加し
たので、シフトしたと考えたのである。
浄土教の信者に、その頃の大将棋を指す傾向
が有ったと、駒数多数将棋に残る独特の配列を
説明するために仮定したが、従来史料としての証
拠に乏しかった。
しかるに今回、岩手県西磐井郡平泉町平泉字
志羅山の志羅山遺跡で両面飛龍が発掘された当時
の共出土文字史料が、「木簡研究」第25号に載っ
ていて、表題のように、
「南無阿弥陀仏」卒塔婆の存在が、数の上で卓越
して共出土しているという情報を得た結果、未知
の裏づけ史料が見出された
と判断し、以下「木簡研究」第25号の内容を紹
介する。
冊子はweb上に公開されていて、スケッチ図
がその中にある。「木簡研究」第25号自体の、
抜粋が奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
90192_1_木簡研究.pdf
冊子の概略書誌は、次の通り。
木簡研究/25号、2003年11月、木簡学会。
pdfファイル内のページは、ところどころで
飛んでいるが、第132ページと表記されたとこ
ろから、西磐井郡平泉町志羅山遺跡の、西暦
2001年の発掘調査で出土した、文字史料すな
わち、卒塔婆、将棋の駒、定規等不明の木製品に
習字した物品の、以上3種の紹介が有る。
まともに卒塔婆内容が読める木板が6枚有るが、
5枚が浄土教の阿弥陀念仏特有の「南無阿弥陀仏」
であり、残りが「南無大日如来」である。浄土教
の早期の信者が、ここには少なくとも、今に痕跡
が残るほどに優勢に存在したことは、どう見ても
明らかなようだ。
つまり、法然生存時の浄土教信者が多数存在した
中で、二中歴系とみられる平安大将棋系が指され
た事が明確だ。
ちなみに、成立年代は、冊子に12世紀と記載
されている。ほとんど、親鸞本人が「竪行、横行」
で説教し始めたのと、同時成立という事だろう。
以上の事から、68枚制13升目平安大将棋か
ら、仮説92枚制13升目後鳥羽上皇期大将棋に
移行する段階で、大将棋は浄土教信者の居る環境
で指されていたという事を、裏付ける史料が、存
在する事がどうみても明らかなのではないかと私
は考える。(2024/07/14)
制大将棋の歩兵下袖配列同様、13世紀後鳥羽
上皇期の仮説13升92枚制歩兵4段型大将棋で
も、袖は同様な角行、竪行、横行配列に、なって
いると仮定している。元々の中央列横行は玄怪録
岑順の、「上将」の動きの「横暴→横行」が起源
であり、
竪行と角行は、親鸞の説法起源で発生し、それに
よる横行駒の袖移動
としている。つまり横行は、行駒の種類が増加し
たので、シフトしたと考えたのである。
浄土教の信者に、その頃の大将棋を指す傾向
が有ったと、駒数多数将棋に残る独特の配列を
説明するために仮定したが、従来史料としての証
拠に乏しかった。
しかるに今回、岩手県西磐井郡平泉町平泉字
志羅山の志羅山遺跡で両面飛龍が発掘された当時
の共出土文字史料が、「木簡研究」第25号に載っ
ていて、表題のように、
「南無阿弥陀仏」卒塔婆の存在が、数の上で卓越
して共出土しているという情報を得た結果、未知
の裏づけ史料が見出された
と判断し、以下「木簡研究」第25号の内容を紹
介する。
冊子はweb上に公開されていて、スケッチ図
がその中にある。「木簡研究」第25号自体の、
抜粋が奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
90192_1_木簡研究.pdf
冊子の概略書誌は、次の通り。
木簡研究/25号、2003年11月、木簡学会。
pdfファイル内のページは、ところどころで
飛んでいるが、第132ページと表記されたとこ
ろから、西磐井郡平泉町志羅山遺跡の、西暦
2001年の発掘調査で出土した、文字史料すな
わち、卒塔婆、将棋の駒、定規等不明の木製品に
習字した物品の、以上3種の紹介が有る。
まともに卒塔婆内容が読める木板が6枚有るが、
5枚が浄土教の阿弥陀念仏特有の「南無阿弥陀仏」
であり、残りが「南無大日如来」である。浄土教
の早期の信者が、ここには少なくとも、今に痕跡
が残るほどに優勢に存在したことは、どう見ても
明らかなようだ。
つまり、法然生存時の浄土教信者が多数存在した
中で、二中歴系とみられる平安大将棋系が指され
た事が明確だ。
ちなみに、成立年代は、冊子に12世紀と記載
されている。ほとんど、親鸞本人が「竪行、横行」
で説教し始めたのと、同時成立という事だろう。
以上の事から、68枚制13升目平安大将棋か
ら、仮説92枚制13升目後鳥羽上皇期大将棋に
移行する段階で、大将棋は浄土教信者の居る環境
で指されていたという事を、裏付ける史料が、存
在する事がどうみても明らかなのではないかと私
は考える。(2024/07/14)