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大阪府泉大津市東雲遺跡で4C銅曹墨書土器(長さん)

本ブログではこれまで、中国古代後漢~魏王朝期
の、対中交易品は鉄制武器が主力と説明してきた。
が祭祀用等の銅製品も、4世紀ごろ大阪の港から、
積み出されていた事を示唆する壷型土師器土器が、
表題遺跡で、だいぶん前に出土したらしい。以下
に、その旨を紹介する。
 遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
4615_1_泉大津市埋蔵文化財発掘調査概報.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
大阪府泉大津市文化財調査報告13/
泉大津市埋蔵文化財発掘調査概報5、
1987.3、大阪府泉大津市教育委員会。
 発掘報告書冒頭第3ページの発掘調査経過一覧
表により、遺跡の場所は大阪府泉大津市板原66・
67。遺物が出土したのは西暦1986年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代はこの遺跡自体が古墳時代前期
4世紀のものと、発掘報告書第10ページ付近の
記載よりされ、また、第45ページの遺物の説明
からも、土器自体の形態等から古墳時代前期、
4世紀前後の成立と考えられているように、私に
は読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第14の、
最上段左端に在り、遺物番号第4番との旨、ナン
バリングされている。大型広口の壷型土師器土器
のように、私には見える。

東雲銅曹.gif

 上図のように、写真の右側に縦に目立って大き
くやや薄いが、漢字で「銅」のように見える、
珍しい模様が有り、その下に第2字目のようにも
見える、はっきりしないが「曹」のようにも、
また単なる煤のようにも見える、暗い模様が在る。
「銅箆」かその意と書かれているのかもしれない。
 大陸、後漢~魏王朝時代の交易品に「銅製品」
が古墳時代前期には含まれていた事を示すと私見
する。鉄製武器だけではなく、貴金属一般が当時
日本と大陸間で流通し、場合によっては、古墳期
には銅剣・銅鐸・銅鏡などの原料になっていた疑
いも、有るのではないかと私は思う。(2024/07/15)
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