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群馬県石川原遺跡10C初石夲墨書は神官家章(長さん)

ちょうど2年位前、本ブログで八ツ場ダム
建設時に、それに絡んで発掘調査が行われ
た、表題群馬県長野原町在の石川原遺跡で、
物部氏系豪族の、「石上氏に付近の民が、
物品を入れて奉じた」と紹介した「石夲」
墨書土器8つについてその後、奈良文化財
研究所、発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に登録された、群馬県埋蔵
文化財調査事業団の研究紀要に考察が追加
されている事が判った。
 それによると、それら8つの

石夲遺物は、山岳信仰の祭祀神官である、
石上氏系の人物が、個人的に短期間に作成
したもので、石上氏に対する不特定多数の
民による、継続的租税品献上の事実は無い

と読取れる内容が書かれている事が、判明
した。山を奉じる石上氏姓の神官が、祭祀
用の墨書土器を作ったが、結果として律令
村に、それらが何らかの経緯で配布されて
出土した物品のようである。その為、
個人流の特殊なデザインの墨書遺物であり、
該「石奉」型土器が、全国的に見れば「山
奉」型土器ほど、多数は存在し無い理由
になっているらしい。
 以前の本ブログの解釈は、律令時代に、
租税を特定地方氏族で、せしめてしまう
豪族が存在する、かのようであって奇妙で
あり、

以上のように、間違いが有ったので、訂正

したい。
 以下の紀要の冊子に、8つの出土物品
は、西暦901年から925年の間のもの
であり、更に土器の種類が、全く同じで、
かつ、墨書を書く位置も、土器の横で同じ
な為「一例としてそのようにも推定できる」
と、慎重な言い回しの上、前記のように、
特定神官による特別墨書であるとの旨が、
載っていると、読み取れるようである。
 pdfファイル名は、以下の通り。
139754_1_研究紀要.pdf
 研究紀要の名称は、以下の通り。
研究紀要39、2021、公益財団法人
群馬県埋蔵文化財調査事業団。
 その第88ページの左カラムの最下段付
近に、上記の内容が、著者の高島英之氏に
より、紹介されている。
 なお、繰り返すと、8つの石夲墨書土器
の載っている発掘報告書のpdfファイル
名は、以下の通り。
122372_4_石川原遺跡2.pdf
 研究紀要の書名は、以下の通り。
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査
報告書第671集/石川原遺跡(2)、
2020年、国土交通省・公益財団法人
群馬県埋蔵文化財調査事業団。
 一例で、その墨書土器のうち、墨書が
最も鮮明な、以下の例を再掲する。
以下は、写真図版第424の下カラム:
”2)第30号竪穴建物出土遺物1”の、
右下で第5番とナンバリングされた、土器
破片である。

石川原石奔1再.gif

 以前の紹介では、右側の正体コマが、
本ブログでは紹介落ちしていた。
 良く見れば第1字目の「石」の右に、
漢字に無い≪右払い≫が付与され山の絵に
明らかにはめ込まれていて、個人で工夫し
たデザインである。氏族の名前を山岳信仰
の祭祀用土器には、普通は入れ無いので、
全国的に見れば、このデザインの墨書は
特殊という事になろう。(2024/07/18)

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