熊本県熊本市二本木遺跡で平安初山睨墨書土器(長さん)
今回は、熊本市西区二本木遺跡春日地区
とされる場所の発掘で、平安初期成立の
壷型土器と見られる出土遺物に、漢字
で山睨ないし、山呪に見える煤模様が
有るとの旨の紹介である。
阿蘇山等の、山そのものを神と見立てて、
呪い祭祀を行っていた事を示している
のかもしれないと私見する。この回の発
掘で、複数の墨書土器・刻書土器と認定
されている物品も共出土しているらしい。
遺物の写真がweb上公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
90331_2_二本木遺跡群8春日地区田崎地区・
牧崎遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
熊本県文化財調査報告第338集/
二本木遺跡群8(春日地区)(田崎地区)
牧崎遺跡、2020、熊本県教育委員会。
今回紹介する遺物は、このうち二本木遺
跡群で出土した物品である。
発掘報告書の第1pdfの末尾抄録に
より遺跡の場所は、熊本県熊本市西区
春日三丁目。遺物が出土したのは発掘
報告書第39ページの記載から、西暦
2018年前後の、発掘調査最終時期の
事のように、私には読取れる。
遺物の成立年代は、遺物は井戸跡20
で出土したが、何れにしてもこの発掘調
査で出土した遺物の大半は8世紀後半~
10世紀までのもので、特に8世紀末~
9世紀第1四半期の、平安時代初が多数
と考えられているように、同じく私には
読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL)第34:”・・・第17次4区
第20号井戸跡出土遺物”の右の第2段
目の2つの土器の集合写真のうち、向こ
う側左の土器で、第237番との旨、
ナンバリングされている。下記図のよう
に、壷型土器の一種のように、私には
見える。長頸壺との事らしい。

上図のように、左の縁に縦に、漢字で
山睨、或いは山呪のように、私には見え
る煤模様が、有るようにも見える。
山を神として呪いの対象にするか、山
で鉱脈探査をした他界した山伏等を偲ぶ
等の祭祀行為が、古代に熊本県熊本市の、
遠方に阿蘇山が見えているような環境下
で、行われていた事を、示唆しているの
かもしれないと、私は疑う。墨書で、
「山奉」と書かれた祭祀用土器と類似系
統の遺物では無いかと思う。(2024/07/24)
とされる場所の発掘で、平安初期成立の
壷型土器と見られる出土遺物に、漢字
で山睨ないし、山呪に見える煤模様が
有るとの旨の紹介である。
阿蘇山等の、山そのものを神と見立てて、
呪い祭祀を行っていた事を示している
のかもしれないと私見する。この回の発
掘で、複数の墨書土器・刻書土器と認定
されている物品も共出土しているらしい。
遺物の写真がweb上公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
90331_2_二本木遺跡群8春日地区田崎地区・
牧崎遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
熊本県文化財調査報告第338集/
二本木遺跡群8(春日地区)(田崎地区)
牧崎遺跡、2020、熊本県教育委員会。
今回紹介する遺物は、このうち二本木遺
跡群で出土した物品である。
発掘報告書の第1pdfの末尾抄録に
より遺跡の場所は、熊本県熊本市西区
春日三丁目。遺物が出土したのは発掘
報告書第39ページの記載から、西暦
2018年前後の、発掘調査最終時期の
事のように、私には読取れる。
遺物の成立年代は、遺物は井戸跡20
で出土したが、何れにしてもこの発掘調
査で出土した遺物の大半は8世紀後半~
10世紀までのもので、特に8世紀末~
9世紀第1四半期の、平安時代初が多数
と考えられているように、同じく私には
読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL)第34:”・・・第17次4区
第20号井戸跡出土遺物”の右の第2段
目の2つの土器の集合写真のうち、向こ
う側左の土器で、第237番との旨、
ナンバリングされている。下記図のよう
に、壷型土器の一種のように、私には
見える。長頸壺との事らしい。

上図のように、左の縁に縦に、漢字で
山睨、或いは山呪のように、私には見え
る煤模様が、有るようにも見える。
山を神として呪いの対象にするか、山
で鉱脈探査をした他界した山伏等を偲ぶ
等の祭祀行為が、古代に熊本県熊本市の、
遠方に阿蘇山が見えているような環境下
で、行われていた事を、示唆しているの
かもしれないと、私は疑う。墨書で、
「山奉」と書かれた祭祀用土器と類似系
統の遺物では無いかと思う。(2024/07/24)