静岡市大谷川Ⅳ遺跡で古墳期頃奔王墨書土器(長さん)
ミニュチュア動物型土器、墨書土器、木製品等
が大量に出土している、表題の静岡県静岡市の
遺跡で、以前に木製品の鋤のヘラ部分に、文字
が書かれているように見えるとの旨の紹介を本
プログでした事がある。結局、その鋤のヘラの
模様については仔細は解明出来無かった。
今回は、そのときの発掘調査で、これとは別
に杯合わせの土器台のように見える出土遺物に、
漢字で「奉王」のように見える、煤模様が有る
ように認識されるので、今回は以下に紹介する。
遺物の写真は、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書は以前に
紹介した奈良文化座研究所の発掘報告書データ
ベース、全国遺跡報告総覧に、登録公開されて
いて、同じpdfファイルである。
pdfファイル名、発掘報告書名、遺跡の
場所、遺物の出土年、遺物の成立年代を順に
示すと、以下のようになる。
pdfファイル名は以下の通りである。
1374_1_大谷川.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
静岡県埋蔵文化財調査研究所調査報告第20集
大谷川Ⅳ、1989、財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所。
遺跡の場所は、静岡県静岡市大谷地先。遺物
が出土したのは、1985年前後のようである。
以前に紹介した、以下のpdfに情報が有る。
1940_1_大谷川Ⅳ遺物・考察編本文編.pdf
または、変更されているとすれば、以下の名称。
1940_1_大谷川.pdf
古代以前の遺物が出土しているとの旨の記載
も、このpdfに有るとの紹介を以前にした。
以下では、この、「発掘報告書本文pdf」の
「特論」の記載により、遺物の成立年代を古墳
時代の後期と仮定する。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第35
:”水上7区 第810流路跡出土土器Ⅰ”の、
右側最下段に在り、遺物番号第65番との旨、
ナンバリングされている。杯のような形が連結
で繋がった、土器台のように私には見える。

上図のように、右下に左から右に、漢字で、
「奉王」のように見える模様が有り、王の字の
下に、呪いの升目模様のような絵が書かれてい
るようにも見える。地域の有力者の墓に納めて、
故人を祀る祭祀に使われる遺物のように、私見
する。古墳時代の後期の、遺跡付近の豪族の存
在といった状況の、手がかりとなる、物品なの
かもしれないと疑う。(2024/07/25)
が大量に出土している、表題の静岡県静岡市の
遺跡で、以前に木製品の鋤のヘラ部分に、文字
が書かれているように見えるとの旨の紹介を本
プログでした事がある。結局、その鋤のヘラの
模様については仔細は解明出来無かった。
今回は、そのときの発掘調査で、これとは別
に杯合わせの土器台のように見える出土遺物に、
漢字で「奉王」のように見える、煤模様が有る
ように認識されるので、今回は以下に紹介する。
遺物の写真は、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書は以前に
紹介した奈良文化座研究所の発掘報告書データ
ベース、全国遺跡報告総覧に、登録公開されて
いて、同じpdfファイルである。
pdfファイル名、発掘報告書名、遺跡の
場所、遺物の出土年、遺物の成立年代を順に
示すと、以下のようになる。
pdfファイル名は以下の通りである。
1374_1_大谷川.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
静岡県埋蔵文化財調査研究所調査報告第20集
大谷川Ⅳ、1989、財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所。
遺跡の場所は、静岡県静岡市大谷地先。遺物
が出土したのは、1985年前後のようである。
以前に紹介した、以下のpdfに情報が有る。
1940_1_大谷川Ⅳ遺物・考察編本文編.pdf
または、変更されているとすれば、以下の名称。
1940_1_大谷川.pdf
古代以前の遺物が出土しているとの旨の記載
も、このpdfに有るとの紹介を以前にした。
以下では、この、「発掘報告書本文pdf」の
「特論」の記載により、遺物の成立年代を古墳
時代の後期と仮定する。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第35
:”水上7区 第810流路跡出土土器Ⅰ”の、
右側最下段に在り、遺物番号第65番との旨、
ナンバリングされている。杯のような形が連結
で繋がった、土器台のように私には見える。

上図のように、右下に左から右に、漢字で、
「奉王」のように見える模様が有り、王の字の
下に、呪いの升目模様のような絵が書かれてい
るようにも見える。地域の有力者の墓に納めて、
故人を祀る祭祀に使われる遺物のように、私見
する。古墳時代の後期の、遺跡付近の豪族の存
在といった状況の、手がかりとなる、物品なの
かもしれないと疑う。(2024/07/25)