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青森県青森市浪岡城跡で戦国期奔銅木箱(長さん)

今回は当時の青森県南津軽郡浪岡町、現
青森県青森市の戦国時代のものとされる城、
浪岡城跡で、木箱の横板のように見える木
片の端、内側の角となるとみられる部分に、
漢字で「奉銅」と書いて有るように見える、
薄い模様が有るとの旨の紹介である。

分銅か粗銅か、銅の類を木箱に入れ、仏像
等の材料にしたのかもしれないと私は疑う。

 遺物の写真がweb上に行為されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
12537_1_浪岡城跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
浪岡城跡、1986年1月、青森県土木部・
浪岡町・浪岡町教育委員会。
 発掘報告書冒頭第1ページ「調査に至る
経過」により遺跡の場所は、青森県南津軽
郡浪岡町大字浪岡字前田75、76、79、
84、85。
 遺物が出土したのは、西暦1985年
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第36
ページの記載から、16世紀初の戦国時代
の城跡で使われた物品群のうちの、ひとつ
と見られているようである。なお浪岡城の
城主は、浪岡北畠氏との事である。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版(P
L.)第10:”木製品(1)”の、左端
の下から2段目に在り、遺物番号第93番
との旨、ナンバリングされている。一辺が
十数センチ程度の箱の、横板の一枚のよう
に見える。

浪岡城奔銅.gif

 上図のように、箱にしたときに天地が逆
だが、角部分に、漢字で「奉銅」のように
見える極薄い模様が写真の上、内面と見ら
れる方の左端に在るように思う。
 箱の蓋の材であり、分銅、粗銅などの銅
を納めて、ひょっとすると後者のケースな
ら仏像の材料にしたのかもしれないと、私
は想像する。(2024/07/26)

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