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群馬県前橋市ニ之宮宮下東遺跡で古代奔戌墨書土器(長さん)

今回は祭祀用とみられる則天文字の「天」墨書
土器が複数出土した等の表題遺跡で、関連する、
北西を奉じる漢字で「戌奉」等の奉墨書土器が
出土しているとの旨の紹介である。比較的高度
な漆職人の集落が、古代に在ったようであり、
そこで行われた、祭祀に使われる遺物のようで
ある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
28903_1_二之宮宮下東遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書
第163集/ニ之宮宮下東遺跡、1994年、
建設省・群馬県教育委員会・財団法人
群馬県埋蔵文化財調査事業団。
 発掘報告書目次と本文の間に挿入された抄録
により遺跡の場所は、群馬県前橋市ニ之宮町
宮下東。遺物が出土したのは、西暦1987年
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、以下紹介する「戌奉」
墨書遺物は、発掘報告書第165ページにより、
8世紀、奈良時代とみられているように私に
は、読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版(PL-)
第65の最上段左に在り、住居跡第50号の、
遺物番号第14番との旨、ナンバリングされて
いる。土器の破片のように、私には見える。

二之宮宮下奔戌.gif

 上図のように、外側の下のコマのやや左下に
明快に、漢字で「奉」と書かれその上に、はっ
きりとし無いが、北西を意味する「戌」と漢字
でゴシック調で書いたような、黒い模様がある。
 北西に埋設するか置いて奉じる祭祀用土器が
連想される。則天文字の書かれた「天」土器と、
組で使うのでは無いだろうか?
 ちなみに、この回の発掘で、以下の漢字の
模様の有る土器も出土している。以下の遺物は、
発掘報告書の写真図版(PL-)66の右下に
在る、皿型土器の裏面とみられ、漢字で「瓦」
ないし則天文字の「天」と、その下に「奉」
のようにも見える、擦れた模様がある。恐らく
「瓦奔」では無くて、「天奉」の意図であろう。

二之宮宮下奔瓦.gif

 この遺物は、第3区の第15層で出土したが、
発掘報告書、第189ページ付近の記載により
平安時代の成立とされ、8世紀末程度の成立で、
前記の「戌奉」墨書土器と、さほど成立年代は
離れてい無いようである。天を奉じたり、各方
向に、土器を埋葬して奉じたりしている事から、
東洋系の易学系の占い/呪いが、奈良時代から
平安期にかけて、盛んに行われた祭祀場所に、
ひょっとして近いのであろう。一帯が宗教集団
が居住し、漆職人集団を兼ねたような律令集落
の跡なのかもしれないと、私見する。(2024/07/28)

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