秋田県秋田市久保田城跡で江戸期将棋駒(長さん)
今回は秋田駅に近い、秋田県秋田市千秋明徳町
の久保田城三の丸跡で大量の家老渋江家の遺物
が出土したが、その中に将棋の駒が混じってい
たとの旨の紹介である。
発掘報告書を単純に画像処理すると、右側の
写真のコマがオモテで、成り一文字「と」銀将
のように、本ブログの管理人には思える。が、
詳しい解析が待たれる。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140020_3_久保田城跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
秋田県文化財調査報告書第532集/
久保田城跡、2024.3、秋田県教育委員会。
発掘報告書第1pdf末尾抄録により遺跡の
場所は、繰り返すと秋田県秋田市千秋明徳町2-
52。遺物が出土したのは西暦2018年から
西暦2021年までか、その前後の事のようで
ある。
遺物の成立年代は、江戸時代から明治初頭の
どこかのようである。
遺物の写真は、発掘報告書第3分冊の第
223図:”木製品(その他8>玩具;人形・
将棋の駒)の、左下に在り、第104土溝出土、
人形・将棋駒木製品の第5番との旨、ナンバリ
ングされている。

上図のように、いっけんして右がオモテで、
第1字目の「へん」が見当たらないが、「金
へん」だとすれば銀将であり、画像処理すると、
裏面と見ていた左側の中央にひらがなで「と」
のような「C」のような、横広の模様が、薄く
浮かぶ。
東北地方の出土将棋駒で、しばしば見られる
縦長型であり、形も珍しいので、今後の詳しい
解析が期待される。(2024/07/29)
の久保田城三の丸跡で大量の家老渋江家の遺物
が出土したが、その中に将棋の駒が混じってい
たとの旨の紹介である。
発掘報告書を単純に画像処理すると、右側の
写真のコマがオモテで、成り一文字「と」銀将
のように、本ブログの管理人には思える。が、
詳しい解析が待たれる。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140020_3_久保田城跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
秋田県文化財調査報告書第532集/
久保田城跡、2024.3、秋田県教育委員会。
発掘報告書第1pdf末尾抄録により遺跡の
場所は、繰り返すと秋田県秋田市千秋明徳町2-
52。遺物が出土したのは西暦2018年から
西暦2021年までか、その前後の事のようで
ある。
遺物の成立年代は、江戸時代から明治初頭の
どこかのようである。
遺物の写真は、発掘報告書第3分冊の第
223図:”木製品(その他8>玩具;人形・
将棋の駒)の、左下に在り、第104土溝出土、
人形・将棋駒木製品の第5番との旨、ナンバリ
ングされている。

上図のように、いっけんして右がオモテで、
第1字目の「へん」が見当たらないが、「金
へん」だとすれば銀将であり、画像処理すると、
裏面と見ていた左側の中央にひらがなで「と」
のような「C」のような、横広の模様が、薄く
浮かぶ。
東北地方の出土将棋駒で、しばしば見られる
縦長型であり、形も珍しいので、今後の詳しい
解析が期待される。(2024/07/29)