福島県喜多方市小田高原遺跡で平安初奔狼墨書土器(長さん)
今回は、朝廷に納める土器等の生産拠点とみら
れている表題の平安初期の遺跡で、杯型土器に、
奉+言べんに良、甕型土器に「奉王」と釈文
出来るような、暗い模様の在る遺物が、それぞ
れ出土しているとの旨の、紹介である。
「言べんに良」は「ろう」と読み「奉(ろう)
祀」の3文字であり、訓読み「あとおめる」は、
「恐れ多くも」の意味のようであり、神酒を入
れて、生産物の出荷先である、朝廷を敬う儀式
で使われる物品等が疑われる。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
86550_1_阿賀川改修長井地区遺跡発掘調査報告.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福島県文化財調査報告書第482集/小田高原遺跡
(第1次調査)、2011年、福島県教育委員会・
財団法人福島県文化振興事業団・国土交通省
北陸地方整備局。
遺跡の場所は発掘報告書末尾抄録により、
福島県喜多方市慶徳町山科字古屋敷・西新田。
遺物が出土したのは、西暦2010年前後の事
のようである。
遺物の成立年代は、同様に抄録に8世紀末か
ら9世紀末の、平安時代初期の遺跡であるとの
旨の記載が在り、また発掘報告書第123ペー
ジに、「奉(言べんに良)祀」杯土器は第13
号住居跡で出土したが、平安時代前期後半成立
とみられているように私には読取れる。9世紀
成立とみられる。また「奉王」甕型土器につい
ては、発掘報告書第143ページに「第25号
土坑から出土したが9世紀末から10世紀前半」
と、やや遅めの旨の記載が有る。これらの墨書
遺物が平安時代前半成立である事は確かだろう。
遺物の写真は「奉(言べんに良)祀」杯土器
が、発掘報告書の写真図版第56:”第13号
住居跡出土遺物”の、左側の上から第3段目に
在り、スケッチ図第77の第3番との旨、ナン
バリングされている。繰り返すと杯型土器のよ
うである。

上図のように、上の縁の写真で左側から右側
に向かって「奉(言べんに良)祀」で、第3字
目は、煤に埋もれていて不明確である。うやう
やしく、神酒を奉るとの意味かと思われる。
「奉王」甕土器については、発掘報告書写真
図版第62:”25号土坑・遺構外出土遺物
(1)”の最下段左に在り第94スケッチ図の
遺物番号第11番との旨、ナンバリングされて
いる。繰り返すと甕型土器のようである。

上図のように、左に寄った上部に、濃く漢字
で「奉」の字のように見える模様が在り、平安
時代前期の奉型甕土器である事は確か。奉の右
下に、「王」のようにも見える、煤模様が有り、
平安期初の天皇を奉るという意図かもしれない。
生産物が、中央に献上され搬送されるという
性格の特殊な集落跡という、発掘報告書の解釈
で正しいのであろう。(2024/08/01)
れている表題の平安初期の遺跡で、杯型土器に、
奉+言べんに良、甕型土器に「奉王」と釈文
出来るような、暗い模様の在る遺物が、それぞ
れ出土しているとの旨の、紹介である。
「言べんに良」は「ろう」と読み「奉(ろう)
祀」の3文字であり、訓読み「あとおめる」は、
「恐れ多くも」の意味のようであり、神酒を入
れて、生産物の出荷先である、朝廷を敬う儀式
で使われる物品等が疑われる。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
86550_1_阿賀川改修長井地区遺跡発掘調査報告.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福島県文化財調査報告書第482集/小田高原遺跡
(第1次調査)、2011年、福島県教育委員会・
財団法人福島県文化振興事業団・国土交通省
北陸地方整備局。
遺跡の場所は発掘報告書末尾抄録により、
福島県喜多方市慶徳町山科字古屋敷・西新田。
遺物が出土したのは、西暦2010年前後の事
のようである。
遺物の成立年代は、同様に抄録に8世紀末か
ら9世紀末の、平安時代初期の遺跡であるとの
旨の記載が在り、また発掘報告書第123ペー
ジに、「奉(言べんに良)祀」杯土器は第13
号住居跡で出土したが、平安時代前期後半成立
とみられているように私には読取れる。9世紀
成立とみられる。また「奉王」甕型土器につい
ては、発掘報告書第143ページに「第25号
土坑から出土したが9世紀末から10世紀前半」
と、やや遅めの旨の記載が有る。これらの墨書
遺物が平安時代前半成立である事は確かだろう。
遺物の写真は「奉(言べんに良)祀」杯土器
が、発掘報告書の写真図版第56:”第13号
住居跡出土遺物”の、左側の上から第3段目に
在り、スケッチ図第77の第3番との旨、ナン
バリングされている。繰り返すと杯型土器のよ
うである。

上図のように、上の縁の写真で左側から右側
に向かって「奉(言べんに良)祀」で、第3字
目は、煤に埋もれていて不明確である。うやう
やしく、神酒を奉るとの意味かと思われる。
「奉王」甕土器については、発掘報告書写真
図版第62:”25号土坑・遺構外出土遺物
(1)”の最下段左に在り第94スケッチ図の
遺物番号第11番との旨、ナンバリングされて
いる。繰り返すと甕型土器のようである。

上図のように、左に寄った上部に、濃く漢字
で「奉」の字のように見える模様が在り、平安
時代前期の奉型甕土器である事は確か。奉の右
下に、「王」のようにも見える、煤模様が有り、
平安期初の天皇を奉るという意図かもしれない。
生産物が、中央に献上され搬送されるという
性格の特殊な集落跡という、発掘報告書の解釈
で正しいのであろう。(2024/08/01)