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千葉県香取市吉原三王遺跡の王将・歩兵墨書解析(長さん)

既に述べたように、11世紀よりは前成立と
みられる杯型土器に漢字で外側に「王将」と、
内面に「歩口」と五角形で囲まれて、それぞ
れ書いてあるように見える遺物が、千葉県
香取市(佐原市:当時)丁子字天ノ宮の、
吉原三王遺跡で、西暦1983年前後に出土
しているとの旨が、pdfファイル名で、
31628_1_東関東自動車道埋蔵文化財調査報告書.pdf
というコンテンツで、web上に奈良文化財
研究所の発掘報告書データベース、全国遺跡
報告総覧として、登録・公開されている。
 特に、五角形「歩口」で解釈が正しいとなっ
たときには、11世紀までに日本にいわゆる
将棋が存在した事のほぼ決定的証拠になる為、
今回は前記pdf発掘報告書写真図版第50
の、第3段目右の、「第023号住居跡の、
通し遺物番号第78番」とナンバリングされ
ている画像を、更に解析した。

歩口は偶然模様であり、破片から土器を再現
するときに、千葉県文化財センターが書いた
黒ベタ地に白いペンの文字で偶然出来た模様

と解釈された。
 まず、「3枚の将棋駒型内面模様」を拡大
してみる。

吉原三王王将A.gif

吉原三王王将B.gif

吉原三王王将C.gif

 最下段が、「歩口」と《黒く》書いたよう
に見える模様である。
 拡大すると、右の将棋駒の縁は、割れ口で
あり、

将棋駒型は描かれて居無い。

 前記3像を比べると、3番目の拡大図の左
の白い部分は、白顔料がハレーションを起こ
して地では無くて文字の部分であり、

土器を再現する為に、破片に印を千葉県文化
財センターが、文字を白の書いたので、偶然
ベタ黒の残りの部分が「歩」のように見えて
いると、結論

された。
 残りの上2つの像については、黒くベタ塗
りした後で酸化チタンで白く記号を書いて、
出土遺物を再現化するときに一般に用いられ
る、識別記号の表現方法が、単純に見えてい
るだけであると考えられた。
 よって、内面の将棋駒型模様は、この発掘
作業で、出土した後に付いたとみられる。

将棋駒型は、この遺物には無い

と、この事から私は、ほぼ結論した。
 さてそこで、側面の字が「(皿の下に止)+
上」では無く、「王将」なのかについて、
次に画像を縦伸ばしして見て、調べた。

吉原三王王将縦拡大.gif

 上図のように第2字目が小さいため不恰好
だが、やはり

王将と読んだ方が自然

であると、画像から考えられた。
 千葉県香取市は、平将門拠点の常陸に近い
ので。この遺物は、過去何回か述べたように、
平将門を崇拝する事に発生する、10世紀
成立の杯型「王将」墨書土器ではないかと私
見されるようになった。「王将」が、将棋の
成立以前に、平将門の存在と、彼のした事が
理由で発生した事と推測させる、以前に紹介
した遺物の類の別の例かもしれ無いと、私に
は、よって推測された。(2024/08/03)

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