千葉県八千代市権現後遺跡で4C竪龍墨書土器(長さん)
今回は、千葉県八千代市の表題遺跡で高台
杯土器に、漢字で「竪龍」と書いてあるよう
に見える、遺物が出土しているとの旨の紹介
である。
「昇り龍」の意図であり、
龍信仰土器の一種であろう。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
31723_1_八千代市権現後遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
八千代市権現後遺跡、1984、住宅&都市
整備公団首都圏都市開発本部・財団法人
千葉県文化財センター。
発掘報告書冒頭第3ページ「地理的環境」
により遺跡の場所は、千葉県八千代市萱田字
権現後453番地。
遺物が出土したのは、発掘報告書凡例によ
り西暦1977年から西暦1980年の間、
ないし、その前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第107号遺構
で出土したが、発掘報告書第258ページに
より、古墳期初の4世紀成立で、発掘報告書
第336ページ付近の記載により第107号
遺構はその時代の華奢な竪穴住居跡で、遺物
もその時代の物品と考えられているように私
には、読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
96の第2段目右に在り、遺構第107号の
第2番との旨、ナンバリングされている。繰
り返すと、高台の杯土器のように、私には見
える遺物である。

上図のように、杯部分の写真で最も右側に
見える破片の、割れ目の左端とみられる部分
に縦に、漢字で薄く第1字目が正体、第2字
目が時計回り回転だが「竪龍」とも読めるよ
うな模様が在り、特に第2字目の龍が、はっ
きり読めるように思う。龍神信仰が弥生時代
の中頃に日本で成立し、印旛沼に注ぐ川筋の
この遺跡でも、4世紀頃の土器に、その祭祀
用の遺物として作られ、使用された疑いが有
るように私見される。(2024/08/06)
杯土器に、漢字で「竪龍」と書いてあるよう
に見える、遺物が出土しているとの旨の紹介
である。
「昇り龍」の意図であり、
龍信仰土器の一種であろう。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
31723_1_八千代市権現後遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
八千代市権現後遺跡、1984、住宅&都市
整備公団首都圏都市開発本部・財団法人
千葉県文化財センター。
発掘報告書冒頭第3ページ「地理的環境」
により遺跡の場所は、千葉県八千代市萱田字
権現後453番地。
遺物が出土したのは、発掘報告書凡例によ
り西暦1977年から西暦1980年の間、
ないし、その前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物は第107号遺構
で出土したが、発掘報告書第258ページに
より、古墳期初の4世紀成立で、発掘報告書
第336ページ付近の記載により第107号
遺構はその時代の華奢な竪穴住居跡で、遺物
もその時代の物品と考えられているように私
には、読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
96の第2段目右に在り、遺構第107号の
第2番との旨、ナンバリングされている。繰
り返すと、高台の杯土器のように、私には見
える遺物である。

上図のように、杯部分の写真で最も右側に
見える破片の、割れ目の左端とみられる部分
に縦に、漢字で薄く第1字目が正体、第2字
目が時計回り回転だが「竪龍」とも読めるよ
うな模様が在り、特に第2字目の龍が、はっ
きり読めるように思う。龍神信仰が弥生時代
の中頃に日本で成立し、印旛沼に注ぐ川筋の
この遺跡でも、4世紀頃の土器に、その祭祀
用の遺物として作られ、使用された疑いが有
るように私見される。(2024/08/06)