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埼玉県東松山市代正寺遺跡で、1~4C山泰墨書土器(長さん)

今回は、埼玉県東松山市の丘陵の裾の表題
遺跡で、その丘を奉じたとみられる、漢字
で山奉と書いて有るように見える、甕型土
器出土の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
140059_5_代正寺・大西.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第110集、
東松山市代正寺遺跡・大西遺跡、西暦1991年、
財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
埼玉県東松山市大字宮鼻字代正寺55-1
番地。遺物が出土したのは、西暦1967
年~西暦1969年の頃のようである。
 遺物の成立年代は、弥生時代中期後半の
西暦紀元頃から、古墳時代の前期4世紀頃
の範囲の、どこかで有ると、漠然と考えら
れているように、私には読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
43の最上段左に在り、第68住居跡の、
遺物番号第19番との旨、ナンバリングさ
れていて、台付き甕型土器との旨の説明が、
遺物観察表に在る。

代正寺山泰.gif

 上図のように、写真の右側に縦に漢字で、
山奉と書かれ、奉が、やや小さく反時計回
りに少し回転しているように、私には見え
る、黒くて小さい模様が有るようである。
 高い山は遺跡付近には無いが、丘陵地帯
の丘の裾野に位置する遺跡のようであり、
丘を、神の棲む「山」として、弥生時代
後半ないし古墳時代の初頭に、奉じていた
のかもしれ無いと私は疑う。(2024/08/08)

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