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神奈川県平塚市六ノ域遺跡で古代奔戌刻書土器(長さん)

今回は、成書「発掘された日本列島」に、
「不明のヘンに木」+戌と釈文されている
刻書土器の意味についての考察である。

「徐戌」であり、無病息災・家内安全の
祈願を引っかけて兼ねた、家屋の西北西
方向に埋める地鎮甕土器である

とみられる。
 遺物の写真は、成書に載っていて、以前
にも紹介したが、それは以下の成書である。
「発掘された日本列島」/2024、
2024年6月、文化庁。
 この成書の第94ページ付近から数ペー
ジにわたり、今回紹介する遺跡の説明が有
る。官衙跡の為、古代成立の刻書・墨書遺
物が、複数共出土したとの事のようである。
 発掘報告書第94ページ付近により遺跡
の場所は、神奈川県平塚市四之宮字大会原。
遺物が出土したのは、西暦2021年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、成書第94ページ
~96ページ付近の文章説明から、官衙に
関連しており、9世紀の平安時代初と私に
は、解釈出来るように思われる。
 遺物の写真は、刻書の部分の拡大図が
添えられて、前記成書の第98ページ左上
に在る。説明書きが付記され、不明なへん
にツクリが「木」が第1字目であり、第2
字目が戌との旨、記されている。
 通常は「奉戌」と本ブログで紹介する事
がほとんどのケースであり、建物の西北西
に地鎮に、該甕土器を、ひっくり返して埋
める用途と単純に考えるのが、普通と見ら
れる。だがこの場合、第1字目に謎が残る。

六ノ域奔犬.gif

 そこで、上図を良く見てみると、第1字
目は「行ニンベン」のようであり、ツクリ
の「木」は極薄く「未」のようでもあり、
実際には「徐」ではないかと、私見だが
疑われる。奉戌ではなくて徐戌であろう。
 ところで戌の意味だが、

方角の「戌」では無く、季節の旧暦11月、
「白秋」/万物老いるの、意図ではないか

と考える。すると、「徐戌(じょじゅつ)」
と読め、家族が安泰で、晩年も成人病で急
死する者が出ずに、老衰死でゆっくり天寿
を全うしてほしいという意図の、祈願を
していると取れるようになる。よって無病
息災・家内安全の祭祀土器と西北西に地鎮
で埋める祭祀土器が、引っかけで兼ねられ
ているとも、解釈出来るようになると思わ
れる。
 出土した地点の近くに古代に知識人が居
り、中国の易学を常識的に理解把握してい
て陰陽五行道に従い、地鎮と呪いを兼ねた
祭祀用刻書遺物を、現地で作成して埋めた
という事を意味していると、そう解釈出来
るのかもしれないと私は疑う。(2024/08/11)

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