福島県南相馬市五畝田犬這遺跡で4C管玉泰山(長さん)
今回は、古墳期の甕土器に漢字で奉山と書
かれた奉山墨書型土器に、更に第1字目の
奉の字の中央に絵で、古墳副葬品の蛇紋岩
で作成する管玉ビーズの絵が、描かれてい
ると解釈できる出土遺物が、西暦2015
年前後に、出土したとの旨の紹介である。
今回の遺物はweb上ではなくて、以下
の成書に写真が載っている。
「発掘された日本列島」/2017、
2017年6月、文化庁。
この成書の第52ページに、遺跡と遺物
の紹介が有る。
古墳の副葬品が、集落跡からも出土すると
いう事が、注目された遺跡との事
である。
遺跡の場所は、前記成書の第52ページ
付近の記載により、福島県南相馬市原町区
零五畝田135番地。
繰り返すと遺物が出土したのは、西暦
2015年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺跡自体が古墳時代
前期の4世紀と見られているように、私に
は読み取れる。
遺物の写真は、成書第52ページ下段の、
土器の集合写真の中に在り、最後列の左の、
写真で一番大きく撮影されている、甕型土
器とみられる物品である。

上図のように、左端に縦に、漢字で本来
なら、単純に「奉山」と読んでしまいそう
な、暗い模様が有るのだが。
奉の字の中心に、古墳の副葬品の管玉と私
には解釈される絵が描かれて、奉の字の中
央部分が見えなくなっている。
成書によると、同じ竪穴建物から、ズバ
リ、緑色蛇紋岩製の管玉と、紫色のガラス
小玉が出土していて、山から原石を採取し
て、加工して、桜井古墳等に収める作業が
された場所を示唆しているとの事である。
それらを入れる、容器ではないかと私は
疑っている。上図写真の甕土器は、片手の
ひらいっぱいに、なんとか乗る程度の直径
15センチ位の、大きさらしいので私には、
大きさが手ごろで、尚更そう見える。
(2024/08/12)
かれた奉山墨書型土器に、更に第1字目の
奉の字の中央に絵で、古墳副葬品の蛇紋岩
で作成する管玉ビーズの絵が、描かれてい
ると解釈できる出土遺物が、西暦2015
年前後に、出土したとの旨の紹介である。
今回の遺物はweb上ではなくて、以下
の成書に写真が載っている。
「発掘された日本列島」/2017、
2017年6月、文化庁。
この成書の第52ページに、遺跡と遺物
の紹介が有る。
古墳の副葬品が、集落跡からも出土すると
いう事が、注目された遺跡との事
である。
遺跡の場所は、前記成書の第52ページ
付近の記載により、福島県南相馬市原町区
零五畝田135番地。
繰り返すと遺物が出土したのは、西暦
2015年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺跡自体が古墳時代
前期の4世紀と見られているように、私に
は読み取れる。
遺物の写真は、成書第52ページ下段の、
土器の集合写真の中に在り、最後列の左の、
写真で一番大きく撮影されている、甕型土
器とみられる物品である。

上図のように、左端に縦に、漢字で本来
なら、単純に「奉山」と読んでしまいそう
な、暗い模様が有るのだが。
奉の字の中心に、古墳の副葬品の管玉と私
には解釈される絵が描かれて、奉の字の中
央部分が見えなくなっている。
成書によると、同じ竪穴建物から、ズバ
リ、緑色蛇紋岩製の管玉と、紫色のガラス
小玉が出土していて、山から原石を採取し
て、加工して、桜井古墳等に収める作業が
された場所を示唆しているとの事である。
それらを入れる、容器ではないかと私は
疑っている。上図写真の甕土器は、片手の
ひらいっぱいに、なんとか乗る程度の直径
15センチ位の、大きさらしいので私には、
大きさが手ごろで、尚更そう見える。
(2024/08/12)